世界中がなんだかキナ臭くなってきた

東アジアに位置する日本にも、ICBMが、なんと北海道近くの漁船が仕事をしている付近に落ちた。

 

共産主義国による領土拡大政策の勢いが、今後ますます大きくなることを予想して、日本人も真剣に国防対策を考えるべき時代に入ったと感じる事件だ。

 

平和を願い核兵器を廃棄しただろうウクライナは、他国がうらやむような豊かな国土ゆえ、周りの国から侵略を受けやすくなったと言われている。

 

自国の平和を維持するためには、核兵器による抑止力によるところが大きい、ウクライナ情勢を見ていると、このことが真実に近いように思えて悲しい。

 

核兵器といえば、長崎に落とされたプルトニウム型原爆の材料となるプルトニウムは、原子炉から製造される自然界には存在しない、人間が最強兵器を作るために作り出した元素だ。

もちろん第二次世界大戦が終わったあと、プルトニウムを製造するために使われた原子炉が、平和利用として発電所として世界中に作られたのだが。

 

しかし、もともと原子炉は悪魔利用のために作られた巨大な装置だ、その平和利用は、地球の自然界に存在しなかった悪魔の物質プルトニウムを、どんどんドンドン生み出してく。

 

世界中で溜まっているプルトニウムは、半減期が2万4千年という元素で、今の日本に50トン近くあると言われている

 

それらは原子力発電で再利用されるしかないが、原子力発電を止めてしまえば原爆材料しか使い道がない、人類にとっては悪魔の元素となり、地球環境を悪くする。

 

被ばく国である日本の政府は、原子炉での再利用しかない、放射能毒性の強く半減期の長い、しかも原爆材料になる物質を持っている以上、原子力発電所を運転せざるを得ない状況だ。

 

しかし、原子力発電所も何度もの人災と天災に見舞われて、安全性は担保できていない。

 

私は2年前、福井県で原子炉に携わった人に、なぜマニュアルが守れないのですか?と聞いたことがあって、とても驚いた覚えがある。

 

その方が言うには、発電所ができて何十年もたって、作られた当時の複雑な装置のことを知っている人はいないので、きちんとしたマニュアルは作れないそうだ。

これは、発電所勤務を辞められて何年も経った人の話で、事実確認したわけではないので、私の体験としての話だが、なんとなくうなずける感覚だった。

 

そのような状況で、今後も原子炉を運転し続けるのか、という問題は、政府も野党も、問題の根本解決をするというより、選挙に勝つためのマニフェストや、内閣や政党の支持率を高めるための材料にしているだけにしか見えない。

 

科学的にみて、プルトニウムを作り続ける原子力発電より、石油や天然ガスを使った火力発電のほうが、現代の人類にとっては、安全で使いやすい無くてはならないエネルギー源であることは確かだ。

 

地震発生国日本では、発電所といえども被害を受けて、震源地から離れている都会でも節電しなければ停電せざるを得ない状況だ。

 

原子炉を攻撃されると、国土の多くが非居住地域になってしまう。

 

放射能毒性が高く、一度できたプルトニウムを無毒化する術を持たない、しかも原爆の材料となる物質を作り続ける原子力発電に頼るエネルギー政策は、少なくとも見直す必要にあるとの考えに、私は最近になってようやくたどり着いた。

 

わたしたちも裏事情をよく想像するべき時がきた

カーボンニュートラルを2050年までに達成するという、このような無理で地球環境を悪くする目標は、いったいどこから生まれてきたか、お金や利権に動かされてるのではないかと勘繰りたくなる、一般国民もその裏事情をよく想像するべき時がきたと思う。

CO₂をこれでもかと言うほど悪者扱いされているが、原子炉から生み出されるプルトニウムについて、これでもか!というほどの議論はあまり見かけない。

大きなお金や利権が絡み、次世代のことを考えない無責任な政治家を見抜く知性や教養が必要だ。

 

日本は今のところ、ウクライナと違い、高齢者には公的介護保険や年金制度で、一定の暮らしができる、子供や障碍者に対しても社会保障制度が整備されていて、本当に世界でも住みやすい平和な国だ。

 

しかし、元には戻れない大きな政策を間違えると、気づいた時点では取り返しがつかない悲惨な国になり、子供や高齢者や弱い人々が犠牲になってしまう。

 

ウクライナの動きを見て、自分たちで何ができるか考えよう、という言葉を見かけるが、この機会にヨーロッパの国際政治や紛争の歴史、科学の歴史を学ぶことを勧めたい。

 

もちろん、具体的な人道支援は大事なことだが、誰にでもできることではないから、今の日本の一般国民ができることは、事実の裏側に潜む真実を見分ける目を養い、政党と自分の利益しかみていない政治家を選挙で選ばない賢さを持つことだ。

 

そのようにして選ばれた政治家は、きっと日本だけでなく世界の平和も考えた政治を行ってくれる。

 

そう願いたい。

2022.04.08

カテゴリー:メディア