コロナ禍は日本の医療体制の脆弱性を浮き彫りにした

 

あらためて日本の政治や官僚組織や社会保障制度について考えていると、つねに政治家や官僚を批判している無責任な自分がいて、本当にそれでいいのだろうかと、自問自答しながらやるせない気持ちになってしまう。

 

そんなとき、この本に出会い認識を新たにすることができた。

宇沢弘文著 社会的共通資本 (岩波新書)

 

宇沢先生は東大理学部数学科を卒業された経済学者だ。

とても難しそうなタイトルで、20年以上前に書かれたものだが、今の時代そして将来にも十分考えさせられる内容であり、一気に読み終えて、再度重要な箇所を読み返している。

 

タイトルにある社会的共通資本とは何か?

 

大気や水、森林、海洋、河川、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電気、ガスなどの社会的インフラ、そして医療、教育、金融、司法、行政などの制度資本、というとなるほどと思われる方も多いだろう。

 

つまり、社会的共通資本とは、具体的にまとめると、自然環境と社会的インフラと制度資本の3つの資本のことを指している。

そして現代においては、世界中のどんな国でも、資本主義の国以外の社会主義国家であろうが専制主義国家であろうが、管理運営が非常に重要な資本である。

 

宇沢先生は2014年に亡くなられたので、この本の内容は1970年代から1990年代後半までの時代の変化について書かれたものだが、地球温暖化や環境破壊、医療制度のひずみ、金融バブルなどなど、現在も繰り返されてる問題が中心になっている。

 

森林の破壊は温室ガスCO₂に大きく影響し、土壌や河川海洋の影響も大きい。

 

原子力や化石燃料にもそれぞれ問題があり、エネルギー不足の問題をどのようなバランスをとり、持続可能な社会にするのか。

 

医療的に最適な判断による診療は、経済的に最適な判断による診療と一致しないという。

 

世界中で危険なウイルスの流行が定期的に発生するが、感染症に関する医療体制の構築は難しい。

 

少子高齢化が先進国で進み、社会保障や租税制度による所得の再配分が重要度を増している。

 

このように、科学技術が進んだ現代において、国民が公平に豊かな暮らしを享受できるかどうかは、どれも複雑な様相を呈する社会的共通資本の管理運営次第で、大きく違いが出てくる。

 

宇沢先生は著書の中で以下の2つのことを強く主張している

 

社会的共通資本は、決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、利益追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。

それぞれの分野の職業的専門家によってのみ、職業的規範に従って管理維持されなければならない。

 

この2つの主張から、日本の社会的共通資本の現状を見ると将来がとても不安になる。

利益追求の対象としての位置づけになっているものが多くないだろうか?

縦割り官僚組織の都合で、管理維持されていないだろうか?

 

最近ニュース等で、森林を伐採して大規模な太陽光パネル設置が進む写真を目にするが、CO₂を削減するなら森林を増やすべきところを、環境破壊による水害の発生リスクが高い選択をした責任者は、いったいどんな理由から膨大な太陽光パネルを設置したのだろう。

CO₂がどれほど憎いのか知らないが、近隣住民には大変リスクの高い太陽光パネルや原子炉を選択した政治家や官僚に、社会的共通資本としてのインフラをどのように判断したのか

2022.10.09

カテゴリー:メディア