久子さんが特養に入って、はや1年がたった。
マンションでの一人暮らしが困難になって、サービス付き高齢者向け住宅に引っ越してからだと、5年半近くにもなる。
当時とくらべると、歩き方や話す内容はまったく別人といっていいほど、急激に衰えてしまった。
マンションに入って顔を合わせて10分もすれば口論となっていた頃が、つい先日のように思えるが、久子さんの体の変化だけ見ると、あれから10年以上たったのではないかと感じる。
人生の終末期の母親の生活に、どのように応えていくとよいのか、ふとんの中に入ると、毎晩久子さんの昔の姿が目に浮かぶ。
小学校低学年の頃のことだが、日曜日に人のいない製材所で遊んでいた行為が、月曜日の木材を加工する仕事がほとんどできないくらいの大きな迷惑をかけてしまい、久子さんが丁寧にお詫びに行っていること。
中学3年の夏、サッカーの試合で大けがをして、入院したこと。
弟とは同じ大学に通っていたが、僕が卒業するころ、家業が経営難に陥り、仕送りが大変だったこと。
そして、いま自分が何不自由なく暮らしていながら、母親の介護を人に任せていること。
これでいいのだろうか。
一緒に居てあげることなんて、一泊も、いや1日もできないが、いま僕が久子さんにできることは何か
何か小さな幸せを感じてもらうことを、探すようにしなければ、、、
こんなことを考えながら、ふとんの中で1時間、2時間と過ぎていくようになり、寝つきが悪い体質が定着してきた。
もともと長年勤めた会社を退職したころから、体と頭を使う時間が少なくなったことが原因で、寝つきが悪くなったので、これは久子さんのせいではない。
久子さんの笑顔、喜んでいる顔を見たい。
久子さんが喜ぶことの定番は、どら焼き、プリン、ケーキなどの甘いもの。
だが、入れ歯を失くして噛む力も弱くなってきたため、どら焼きやケーキなどのやわらかいスポンジ部分でも、もう飲み込みが難しく、むせてしまう。
そんなことを考えながら、大きなスーパーに入っているケーキ屋さんをのぞくと、ジャンボシュークリームが眼にとまった。
シュークリームの中のカスタードクリームだけ、スプーンで口に運んであげよう。
久子さんが住んでいる特養の3階に入ると、看護師さんとヘルパーさん5名ほどがカンファレンスを行っていた。
『あらぁ、久子さん、長男さんがみえたねー、よかったねー』
とヘルパーさんが声をかけてくれたが、久子さんはドアが開いた瞬間、すでに僕の姿をキャッチしていた。
手を振ってくれていたのだ。
『うちの息子です』
久しぶりに聞いたこのフレーズ、うれしかった、本当にうれしかった。
僕がだれか、ということをまだ認識してれていること、それを声に出してくれたことが、本当にうれしかった。
次の瞬間、看護師さんのことばに対する久子さんの反応にさらに驚いた。
『長男さんのお名前は?』
『よしひろ』
僕の顔を見ると『ねー、ねー、ちょっと、ちょっと、ねー』としか呼んでくれない、名前なんて忘れている、特養に入ってからはそう思っていた。
僕は大きな感動に包まれ、そして周りにいたヘルパーさんたちの笑顔にも包まれ、久子さんと二人で暖かい幸せを感じた。
久子さんにできること、食べ物だけでなく、ちいさな暖かい幸せを探して、たくさん見つけに行こう。
いまの僕にできることは、一緒に長くいてつまらない顔をしていることではない。
短時間でも久子さんが小さな幸せを感じて、周りの人も一緒によろこんでもらえる場をつくることだ。
もちろん、シュークリームのカスタードクリームに、満面の笑みをうかべながら、『おいしい、おいしい』と喜んでくれたことは言うまでもない。
いまの久子さんにとっての幸せを見つける旅は、もうそれほど長くはないかもしれない。
