最高のプレゼント

ある日、久子さんが特養で生活するために必要な書類の記入をしていたとき、ぼくは久子さんの現在の年齢を1歳多く勘違いしていることに気づいたのだ。

 

『あれっ!間違っていた』

 

90歳でなく、ことしの誕生日で89歳だ!

 

弟にも確認したが、ことし89歳になる、間違いない。

 

どうして、どこで間違えたか不思議だ、やはりぼくの認知機能の衰えも顕在化してきたのか!?

 

久子さんは特養に入居して2か月、すっかり慣れてきているようで、当初心配した混乱もなかった。

 

誕生日が近くなったので何かプレゼントをと考えていたら、家内から、

 

『ケーキが一番喜ばれるんじゃない』

 

との提案があった。

なるほど!着るもの、部屋に飾るもの、お花、いろいろ考えてみたが、一番確実に、絶対に、本当に、誰が何を言おうと、喜ぶものは食べ物で、中でも甘いもの、そして誕生日といえばケーキだ!

 

家内のことばに間違いない!

 

9月といってもまだまだ暑い、都内の美味しい店よりも新鮮なものをと、久子さんがいる特養の近くのスーパーにケーキ屋さんがあったので、そこで買うことにした。

 

ショートケーキ、モンブラン、シュークリーム系、チョコレート系、シャインマスカットなどフルーツ系、美味しそうなケーキが並んでいて迷いに迷ったが、やっぱりこの季節は栗だろう!

 

モンブランかマロンケーキで迷ったが、入れ歯を失くしていることを考えて、店員さんに確認しながら、より柔らかそうなモンブランに決めた。

 

念のため特養の受付で、誕生日のケーキを食べさせたいことを告げると、

 

『お母様喜ばれるでしょうね、どうぞ、どうぞ食べさせてあげてください』

 

とやさしい言葉をいただき嬉しくなった。

 

そして部屋がある3階に上がると、久子さんは多くの人たちと一緒に、NHKの大相撲中継を見ていた。

 

『誕生日おめでとう!』

 

『あ、そうなの、私の誕生日なの。今日?いくつになったのかな~』

 

『89歳だよ、とても元気な89歳だよ』

 

『そんなになったの、あらまあ』

 

『それより、この人たいしたもんだ、しっかりした体で、、、』

 

大相撲中継に興味があるらしく、お相撲さんを指さして何かを感じていたみたいだ。

 

久しぶりの久子さんの笑顔

『ちょっとお部屋へ行こうか、プレゼント持ってきたから』

 

入居者さん10人ほどが集まってテレビを見ている中で、一人だけケーキを食べさせるわけにはいかない、スタッフに事情を話したら、すぐに準備をしてくれた。

 

お部屋にテーブルとお皿とフォーク、そして飲み物を用意してくれた。

 

そして多くのスタッフが集まってくれた。

 

『久子さーん、お誕生日おめでとうございまーす』

 

久子さんは驚いているのか、くりくりした目をぱちぱちとしながら、笑顔を見せてくれた。

 

久しぶりに見る笑顔だった。

 

昨年の暮れに熱を出して以来、急に足腰が弱って、豊かだった表情もなくなり、ぼくが訪問しても笑顔を見せたことはなかった。

 

そしてモンブランケーキをゆっくり準備していると、笑顔には、少し涙ぐんだようなキラキラした目があった。

 

『ハッピィバースデイトゥユー、ハッピィバースデイトゥユー、ハッピィバースデイディア久子さ~んハッピィバースデイトゥユー』

 

スタッフの皆さんのたくさんの笑顔につつまれて、久子さんには言葉はなかったが、最高に嬉しそうな表情をしていた。

 

ぼくが知っている久子さんのたくさんの笑顔の中で最高の笑顔になった。

 

ぼくはこの時に味わった幸福感を一生忘れることはないだろう、たとえ認知機能が衰えても忘れたくない。

 

不安をかき消す幸福感

物心がついてから約60年がたち、これまで、人の幸せとは何ぞやと何度も考えたことがあったが、今日初めてその核心にあたるようなものを見つけた。

 

幸せの大小よりも、小さくても多くの人が喜びを自分のことのように感じてくれる幸せ感ってすごいなぁ。

 

まだ入居して2か月しかたっていない、でもスタッフの皆さんが集まってくれて、自分の家族のように、良かったね、良かったね、久子さん幸せだね、と言ってくれたこと、そして久子さんがそのことに本当にうれしそうな表情と笑顔をみせてくれた。

 

長いあいだ見せてくれなかった表情は、その間久子さんは辛い日々を送っていたのかもしれない、という不安を感じさせるものでもあったが、それでもスタッフと久子さんの間に生まれたこの幸福感は、その不安をかき消すに十分なパワーを持っていた。

 

多くの人に同じ幸福感を感じてもらえる小さな幸せ、こんな幸せをたくさん見つけていきたい、そうすればその先には、豊かな社会、そして平和な国が待っているのではないだろうか。

 

今日は久子さんの誕生日だったが、特養のスタッフ皆さんから、ぼくは素敵なプレゼントをもらったように思う。

 

久子さんはモンブランをあっという間に食べてしまった。

 

いつもよくしてくれているスタッフが言った。

 

『これで夕食がぜんぶ食べれなくなってもいいよ、今日のモンブランを食べるほうが、ずっといい』