思いがけない知らせ
駆け巡る不安
3月3日、ひな祭りの日には似合わない、みぞれ混じりの雪が東京に舞った。
前日の気温は20度に近くになり春の陽気だったが、一転して北陸の冬を思い出すような天気になった。
毎年経験する春らしさと言えばそれまでだが、この大きな寒暖差で寒くなる日は、終末期の高齢者の生活や健康のことを考えると憂鬱な気持ちになってしまう。
久子さんが住んでいるあおぞらは、避難路以外のすべての廊下は建物の中にあるため、外の暑さ寒さの影響は少なく、とても過ごしやすい。
そして久子さんは、もう一人で勝手に建物の外に出ることもないので、酷寒や猛暑の中での徘徊や交通事故などの命にかかわる危険の心配がない。
このような建物に暮らせるということは、認知機能が顕著に衰えてきた高齢者の一人暮らしにかかわる様々な危険の中で、その半分は心配する必要がないと言えるだろう。
天候の変化に健康を気遣う、離れて暮らす家族としては感謝の念に堪えない。
最近の久子さんの顕著な衰えを考慮し、ケアマネさんにお願いをして要介護度の区分変更の申請をしていたが、1か月が経つか経たないか、意外と早く新しい介護保険被保険者証が届いた。
えっ、5?
何度か通知書を読み込んだが間違いない、長男のメンタルは激しく動揺し、雷に打たれたような衝撃を受けていた。
要介護5は日常生活全般において自分の力では生活ができない、24時間見守りが必要なほど一番重たいランクに指定されたということだ。
週に一度程度しか会っていない家族には、しっかり感じ取ることができていなかった、本当は久子さんの体の状態はこうなんだ!と突然突きつけられたようなもの。
あおぞらのスタッフはぼくに気を使ってくれていたのかもしれない、見えているほんの一部のことにただ感謝していればいいというものではない、様々な思いが交差し、現状を受け入れるには時間がかかった。
確かに夜間倒れているところを何度か発見され、この数か月スタッフに様々な負担をかけてしまっていた。
一度だけだが病院に救急搬送もされている。
長男としての責任をはたしていないのではないか。
薄い通知書ではあったが、数値は重く、見えていない実態とは?という不安が脳を駆け巡った。
通知書を手にあおぞらに向かった。
あおぞらのヘルパーさんも最初は驚いていたが、最近の身体の衰えから、おおむね納得はしているようだった。
やるせない気持ち
その日久子さんは、だれもいない食堂でひとり、いつもすわる椅子にすわってじっとしていた。
『この部屋暖かいねー、気持ちよさそーに座っているね、こんにちは』
『うん、あったかいよこの部屋、ごはんを待ってるの』
『そうだね、ごはん楽しみだね、早く来るといいね、今日の献立は何かな』
午後3時になろうとしている時間帯だから、夕食までにはまだ2時間以上待たなければならないが、そんなことを説明しても久子さんの感情を悪くするだけだ。
『みかん買ってきたから食べようか』
どら焼きを食べさせてあげようと思うのだが、一度にたくさん食べたがるので、最近は風邪の予防のことも考えて、みかんを買ってくるようにしている。
以前はお菓子を食べていると元気になり、必ず何度も何度も、
『ところであんたいくつになったの?』
と聞いてきたが、最近はその質問も出なくなった。
要介護5という現状を受け入れることは、老いてゆく母親の姿を全く想像できていなかった、そしてなんら準備できていないことを反省することから始まるように感じた。
ぼくは孫と楽しく遊んでいるとき、久子さんが孫をかわいがっていた時のことを思い出し、何度もやるせない気持ちに襲われる。
それは、あんなに可愛がっていた孫のことをもう思い出せなくなっている、そんな久子さんを可哀そうに思う気持ちからだ。
おそらく近い将来、久子さんはぼくのことを、
『どちら様ですか?』
と言う日が来るだろうと予想しているが、それはぼくにとってはなんら悲しい事象には思えない。
しかし、孫の事を覚えていない事象は、今のぼくが孫に捧げている愛情がいつか消えてしまうことを想像してしまうため、より大きな悲しみとなって襲ってくるのだ。
要介護5の通知書、思いがけない知らせに、長男の気持ちは大きく揺れた、そんなひな祭りの日だった。
2025.03.19