ある日のこと

 

日中、個人用のスマホが鳴ったので見ると、久子さんが入居しているあおぞらからだ。

 

久子さんに何かあったに違いない、急いで出るとヘルパーさんからの

 

「永田久子さんのご長男さんの携帯でよろしいですか」

 

と明るい声だった。

 

すでに心臓のドキドキが体を通して聞こえてきている。

 

「はいそうです、いつもお世話になっています。母に何かありましたか」

 

「実はお母様、夜中に転倒したようで頭にたんこぶができていまして・・・」

 

話を良く聞いてみると、本人はトイレに行こうとしていたのだが、食堂に入って、なぜか転倒しているところを、運よくヘルパーさんに助けられたとのこと。

 

認知機能が徐々に衰えているだろうな、と思ってはいたが、やはり少しずつ表面化してきたようだ。

 

器用で賢くプライドが高い人が、トイレがわからなくなってくるのだから、認知症という病は厄介だ。

 

いろんな想像が頭の中を巡ったが、最悪の事態はあおぞらから退居をもとめられることだ。

 

私が仕事で12年前に設計したあおぞらは、認知症の人でも終のすみかとして機能するように考えたサービス付き高齢者向け住宅だったが、親会社が変わり、物価の高騰、人手不足、様々な社会的変化を考えると、絶対大丈夫とは言えない。

 

覚悟しておかないと、突然言われても次の施設が直ぐに決まるわけではない。

9月に入っても猛暑は変わらず、いつもはデイサービスのない日曜日に訪問していたが、あまりに暑かったので9月中旬の日曜日は、暑さに負けてさぼってしまった。

 

看護師さんありがとう!

その週の水曜日、時間ができたので久子さんの様子を見に行こうと、デイサービスの終わりの時間をねらってあおぞらを訪問した。

 

あおぞらの1階で行われているデイサービスをのぞくと、久子さんは元気そうにボールを使った体操をしていた。

 

久子さんにわからないように壁から顔だけだして、様子をうかがっていたが、あっという間に見つかり手を振っている。

 

本当に目はいいのだ。

 

久子さんの目の神経と脳の神経回路の質の違いは、本当に悔しいかな、天と地の差があり、プライドが高い久子さんの人生の終末期を苦しめている。

 

看護師さんがぼくに挨拶をしてくれた。

 

そして今日は浣腸で排泄コントロールをしたことを話してくれた。

 

そのため、久子さんはとてもスッキリしたのか、入浴も機嫌よくできたとのこと。

 

排泄の問題が大きくなってくるとヤバいなあ、と思っていたところに、看護師さんからの話を受けて、ぼくは心から、看護師さんやデイサービスのスタッフに感謝の気持ちを伝えた。

 

浣腸と言うと便秘のひどい人に使う薬だが、実は大切な用途として、排泄コントロールをするという用途があるのだ。

 

健康な方でも、どうしてもトイレに行くことができない事情があるとき、浣腸を使って事前に出しておくことができる。

 

高齢者は腸の力が弱ってくるため、便秘がひどい時によく使う薬だが、久子さんのように、夜中にトイレに行くようなタイミングになったとき、安全のための、排泄コントロールができるのだ。

 

これも看護師さんがいるからできることで、高齢者施設ならではのこと、自宅ではうまくいかないだろう。

 

実際、看護師さんのファインプレーにより入浴の回数も増え生活の質が向上した!

 

久子さんの認知機能の衰えで憂鬱だったぼくの心に、一筋の明るい光が差し込んできた。

 

看護師さん、ありがとう!!

 

この先久子さんがどのような行動にでるのか、まったく想像もできないが、

 

訪問看護サービスやデイサービスの看護師さんの力を借りながら、なんとかあおぞらが久子さんの終のすみかになってくれることを願うばかりだ。

 

明日は久子さんの誕生日で米寿を迎える。

 

デイサービスが終わって、3階にある部屋に戻るとき、久子さんは階段をなんなくすいすいと上がっていった。

 

足腰と目と耳は米寿とは思えないくらい達者で、食欲もあり胃腸も丈夫なのに、なぜ認知機能だけが弱いのかと、いつも嘆いてしまう長男である。

 

でも、これは介護無料相談をきちんと行うための、修行なのだろうと受け止めて、

 

久子さんに寄り添って行こう!

 

と決意する長男であった。

2024.10.07

カテゴリー:ぼくの久子さん