よく映るテレビ
『このテレビ本当によく映るの!うれしいわ!』
久子さんはテレビがきれいに映っていることに、なぜか大満足している。入居して約1年、ようやくテレビが久子さんの生活の中に、活躍の場を見せてくれるようになって、ぼくとしても、とてもうれしいことだ。少しでも久子さんの目から耳から刺激が入り、元気な久子さんでいてくれたらと思う。
久子さんは、あおぞらに入居し始めたころ、テレビ、ポット、冷蔵庫といった電化製品のコンセントをすべて抜いてしまう癖があった。テレビなんかはご丁寧にアンテナ端子まで抜いてしまうのだ。
何度説明してもすべて抜いてしまうので、いくらあおぞらのスタッフの皆さんがよくしてくれると言っても、常に久子さんの近くにいるわけではない。これでは電化製品を置いている意味がない。入居したころ、狭い部屋での母親一人の生活が、寂しくないかとても心配だった。
『テレビは見ないの?』
『テレビなんかほとんど見んわ』
『一人で部屋の中で何してるの?』
『忙しいわよ、やらないといけないこといっぱいあるんだから』
知っている人がいない、友達もまだいない、楽しみは食事の時間だけ、一人狭い部屋の暮らしがとても心配だったので、久子さんのこの言葉は、例え嘘だとしてもぼくの気持ちをなだめてくれた。久子さんの表情からは嘘でもないように見えた。
『冷蔵庫うまく使ってね、できるだけ水分とるようにしてね』
とりあえず、電化製品の線のコンセント近くに一本一本、コメントを書いた紙を丁寧に、見やすく貼ってみた。
テレビのコンセントは抜かないでください。
テレビのアンテナの線は抜かないでください。
冷蔵庫のコンセントは抜かないでください。
心配だったので、また3日後に久子さんの部屋を訪ねた。見事にコンセントは抜かれて、紙もきれいにはがれている・・・。
『久子さん、コンセントは抜かないでおこうね、使いたいとき使えないから』
『うん、わかった、そうする』
テレビは仕方ないとして、冷蔵庫が心配だった。梅雨に入る前にはなんとかしたい。
その後も何度か同じようなことを繰り返しながら、しばらくしてこの問題はクリアしてきたが、なぜ貼り紙を外すのかがわからなかった。
コンセントを抜いてしまうという不思議な行為は、もしかすると、以前住んでいたマンションで、久子さんがボヤ騒ぎを起こしてしまったことが、心のどこかに残っていて、コンセントが火事につながると感じているのかもしれない。久子さんを見ていると、認知機能は落ちていっても、人間の心のアンテナの感度は落ちていないような、いや種類によっては感度があがっているように思うことがある。
もしそうだとすると、言い方や態度は改めないといけない。
久子さんの立場になって考えてみると、これまで、息子であるぼくから、思ってもみない暴言の数々をあびせられ、バカ扱いされ、どんなに傷ついているだろう。感度のよい心のアンテナに、至近距離から、大容量の長男悪態電波が届くのだから、いくら丈夫な久子さんといえど、壊れてしまうかもしれない。
もっと久子さんをよく観察しながら、偏見をもたずに、普通の人として接していこう。なんだか難しい哲学か心理学の領域に入り込みそうなので、今日はこれでおしまいにしよう。
2022.09.07