うちの息子は薬剤師
久子さんは、症状に合わない高価な目薬を使いすぎたことが原因で、目の炎症がひどくなった。
それでも自分で治したい気持ちが強いのか、すでに手元に沢山あるにもかかわらず、何度も同じ目薬を買い続けているようだ。
ぼくは薬剤師で、目薬の知識もあり、久子さんのことを誰より良く知っている。それなのに久子さんの炎症を治すどころか、症状はひどくなっている。
『目の炎症がかなりひどいから、眼科で診てもらおうよ、ぼくも一緒に行くから』
『そんなことしなくてもいいわよ、忙しい人に一緒に行ってもらうなんかできないわよ』
『目を手術してもらったんでしょ、その眼科に行こうよ』
だましだまし、なんとか久子さんを眼科に連れ出すことができた。
眼科の先生の診察結果もぼくの診たてと同じだ。
『久子さ~ん、目薬はコチラの目薬に変えてください。炎症を抑えてくれるよい目薬出しておきますから、1日4回だけさしてくださいね』
先生は優しく説明してくださり、久子さんも納得しているように見えた。
『うちの息子、薬剤師なんです』
おいおい…ちゃんと先生の言うこと聞こうよ…。というか、それを言うならぼくの言う通りに目薬を止めていれば、こんなにひどくはならなかっただろうに。とにかくこれで問題は解決。あとは炎症が治まるのを待てばよいな、と思っていた。
が…現実はそんなに甘くない。
1週間後
ぼくは久子さんを訪ねた。もちろん目の炎症が和らいでいるかを確認するためだ。
出てきたのは、なんとウサギの目をした久子さん…。
愕然としたまま部屋に入り、さらに愕然とした。またあの憎き目薬が5本ほどある。ぼくはあの時、眼科から久子さんの部屋に戻り、散乱していた高価な目薬をすべて持ち帰り捨てたのだ。計算すると2万円近い。
ぼくの頭の血管はぶちきれそうになった。その時何を言ったかはよく覚えていない。おそらく、『認知症、ぼけ、痴ほう、バカ、アホ、ダラケ(石川県の方言)』などとあらゆる言い方をしたのではないだろうか…。
ぼくは考えた。どうしたらいいのか、どうしたら目薬をやめてくれるのだろうか、考えて考えて、とった行動が『貼り紙作戦』だ。
使ってはいけない目薬に紙を貼った。【この目薬を使わないこと!】
診察の時に先生からもらった目薬は残念ながら見つからなかった。なので目薬を使わせないことにしたのだ。
恐る恐る部屋のチャイムを鳴らした。
…ウサギの目は健在だ。
憎き目薬に貼った【この目薬を使わないこと!】の紙はなくなり、目薬の本数は増えていたのだ。
『久子さん、このままだと目が見えなくなるよ!この目薬を使わないでって言ったでしょ!!』
『そうだったの?わかった!あんたが言うなら使わないようにするけど、目の手術をしたから赤くなるのはしかたないのよ!しばらくしたら治ると思うわ。』
何を言っても無駄だ…もう諦めたいが、体に害のある買い物を止められないことが悔しい。そして、その後も憎き高価な目薬が無くなることはなく、ウサギの目はしばらく続いた。
貼り紙以外にも、カレンダーや棚にマジックで大きく【目薬は使わないように!】と書き込みもしたが、効果はなかった。その後のことはよく思い出せないが、久子さんを訪問するたびに目の話になり、険悪なムードをうまくコントロールできるかどうかは、ぼくのその日の体調次第になった。
嬉しさと悲しさの間に
それから3年くらいたったある日、赤い目がきれいな白い目に変わっていることに気づいた。嬉しさ半分、悲しさ半分の気持ちだった。白い目の原因は、久子さんが自分で買物には出ていないからだ。買い物に出られない、つまり目薬を買うことができない、そしてその結果、目が治ったのだ。
よかった、本当によかった。
赤い目がずっと続いていたので、久子さんの目は見えないところでどんなことになっているかが不安だった。見事に自然回復していた。たくさん無駄なお金を使ったが、無事に乗り越えたので、よしとしておこう!
強い口調で相手を責め立てることも虐待に入るそうだが、あの時あれ以上の過激な息子による虐待が進まなかったことを、最高の良しとしよう。
しかし、恐るべきは久子さんの目の丈夫さだ。嬉しさは半分で、その時、新たな不安が出現した。とても丈夫な体をもったこの人は、いったいいくつまで生きるのだろうか…?やはりぼくの方が先にいくこともあるのだろうか…。
…十分にあり得る話だな…!
2022.08.10