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二人の久子さん
ぼくは毎日夢を見る。ぼやーっとしか覚えていないこともあれば、夢か現実か迷うほどリアルな夢を見ることもある、でも確実に毎日見ていることは確かだ。
今日の夢はインパクトが強かった。ぼくが、もし認知症になっても忘れないかもしれない。
久子さんが心配そうに、そして真剣な顔で何かを訴えている。
『あんな人やめときなさい、親の言うこと聞きなさい』
『あんたは長男で、うちの家を継いでもらうのだからね』
何でこんなことを言われているのかがわからない。ぼくはようやく目が覚めた。
『あー、夢だったのか』
夢の中の久子さんは若くて、ぼくの知っている優しい母親だった。あまりにもリアルだったので、夢の中にいる若い頃の久子さんの言動と、現実の年老いた久子さんの言動が同じように重なってしまい、目が覚めても、10秒間ほど頭が混乱してしまった。
ぼくの気持ちの奥には、二人の久子さんがいて、同じ久子さんであることを受け入れられないでいる、そんな感情の大きな揺れが原因で、このような夢の中の映像がでてくるのだろうか…。
最近はやりのVRとかARといった、[仮想]と[現実]が混ざった世界に放り込まれたかのようだった。夢の中の話はあくまでもぼくの頭の中で起こっている話なので、現実の久子さんがこれまでに見せた言動には無かったことを、 久子さんの名誉のためにも、はっきりしておこう。
そして、夢の中の「あんなひと」とは今の妻ではないことも、はっきりしておこう。いくら夢の中の話といえども、面倒なことは避けておきたい。
やってしまった….。
さて、久子さんもよく夢を見ているようだ。夜中に電話がかかってくると、必ずといっていいほど出てくる話がある。
『いつになったら帰るの、あんたはもう帰る準備はしたの?』
『帰るって?どこに?どうしたのかな?』
『ほらほら、あのあの~、だって帰らないといけないでしょ』
『石川県のこと?石川県に行きたいの?』
『どうしようかなー、お父さんに相談してみるけど、あんたは帰るんでしょ』
『どこにも帰らなくてもいいので、安心して休んで、夜も遅いからね』
『お父さんはもう亡くなっているからね』
『えっ!そうなの?じゃあ肺結核が治らないで死んじゃったの?早死にだったのね、かわいそうに』
『肺結核の早死にではなく、81歳のがんでしょ!』
『なんか頭が変になったわ、もういつ死んでもいいわ』
プチっ!電話が切れた。
久子さんは、嫌なことを言われて動揺してしまうと、すぐに電話を切ってしまう。高齢者にとって、夜中の不安な思いはとても辛いだろう、眠れないでいるのではないかと心配だ、次回は言い方に気をつけて、久子さんを安心させよう。
残念ながらこのフレーズを使えるシーンに、まだめぐり合っていない。でも、いつか使えるようにしておこう。久子さんとはこれからも長い付き合いになりそうだ。もう真面目に返事をしない。ドラマの役者になった気持ちで付き合っていこうじゃないか。
2022.07.26