息子の決断

認知症の人の言動に怒って、感情に任せて強く当たってはいけない。

 

怒りは心頭、家族だからこそ耐えられない、そんな場面をたくさん経験し、早く死んでほしいと思いながらも、そのように考える自分を責めてしまう、、、でもそれを態度に出してはいけない。

 

決して大げさではなく、本当に地獄のような体験をする人は、これからますます増えるだろう。「ヤングケアラー」という言葉もあるくらい、認知症が進んだ家族をもった人の環境は様々だ。仕事や学業に影響が出て、経済的にも苦境に追い込まれる人も少なくない。

認知症の影響は、精神的、肉体的、経済的と様々な面で人を苦境に追い込み、人の心を崩壊させる力を持っている。久子さんが認知症を患って久しいが、久子さんは認知症だとはっきり認識してからしばらく経ったころ、ぼくはあることを考え始めた。

 

おそらく、こんな状況が続けば、かなり高い確率で、現状に耐えられず、どちらかが異常な行動を起こし間違った方向に行ってしまうかもしれない。

 

だから、何かを変えなければ。

 

施設に入れるべき時期にきているが、本人は嫌がるばかり、ならば無理やり施設に押し込むか、でもそれはよい方法とは思えなかった。

 

悩んだ末に、考えられる方法はひとつ。

 

久子さん自身が正常だと思えるときに、事実をきちんと伝え、早めに自分が置かれた状況を理解し、自分の運命を考えられるよう選択してあげることだった。

 

そして久子さんが自ら、施設に入ることを考えることだった。

 

もちろんそれまでも、症状がひどくなると、ついつい感情的になり、『年だからしかたないけど、だいぶボケがひどくなってきたようだね。』という言葉は使ってしまっていた。でも症状がひどい時に言っても、お互いヒートアップするだけでなんの効果もない。

 

だから、言葉や表情から判断し、元気な頃の久子さんに近い状態を狙って、考えていたことを言ってみた。

 

久子さん、怒り奮闘

『あのね、おちついて聞いてね。久子さんが安全に、できるだけ幸せに暮らせるように考えてのことなので、よく話を聞いてくれる?』

 

十分な前置きをしながら、伝えてみる。

 

『まだ初期症状なんだけどね、実は、久子さんには認知症の症状が始まっているみたいなの。心配だからそろそろこれから先のことを考えようと思っているんだ。』

 

すぐに、久子さんの表情が一変した。

『一人暮らしを続けることは危険がいっぱいだし、火事にでもなったら大変だから・・。どうしようか、久子さんはどうしたい?』

 

それまでの落ち着いた和やかな表情とは明らかに違う。目と口元の筋肉に緊張が走っている表情の久子さんが、堰を切ったように話し出した。

 

『管理人さんや電気屋さんは、私のこと見て、本当にしっかりしてるねー、って言ってくれるのよ、そんなこと言うのあんただけだわ』

 

『そうだよ。きちんと本当のこと言えるのは家族だけだよ、よその人は陰で何と言っているかわからないけど、認知症の人に本当のことは言えないよ』

 

『毎日、3けたの足し算してるんだよ、買い物も自分で坂道歩いて行けるのに、なんで息子のあんたが母親の事を認知症だなんて言うの、失礼なこと言わないで!』

 

『いくら息子でも言っていいことと悪いことがあるわよ、もう帰って、もう二度と来なくてもいいわよ』

 

『わかった。また来るけど、よく考えておいてくれる?』

 

『例えば、今日は何月何日、何曜日、自分の年齢はいくつか、すぐに言える?』

 

『そんなことわからないでどうするの、親をばかにするな!あんたは優しそうに見えるけど、中身はどうしようもない人間だ』

 

久子さんはすでに鬼の形相のようになり、感情はMAXの状態。もうこれ以上話し合うことは無意味なので、このあたりで今日はおしまいだ。一度や二度の試みで、久子さんを説得できるとは思えないが、初回の攻防としては、6対4で久子さん有利といったところだろう。

このような対応は、医学的に、介護倫理的に、心理学的に、どのような分野の専門家から見ても、アウト~!!!と強く否定されると思う。それはわかっているが、これしか考えられない最後の手段として、久子さん人は申し訳ないが試みたことだ。

 

いま冷静に振り返っても、母親と息子の関係においては、認知症の初期段階に、事実をもとに話し合う機会が必要ではないかと思っている。

 

家族による虐待の40%は「息子」だが、この高い数字を軽く見てはいけない。

 

何はともあれ、我が家では虐待を避けることができたのは、不幸中の幸いである。 でも、首を締めたくなる気持ちはよくわかっていた。

2022.07.11

カテゴリー:ぼくの久子さん