認知症が進むと、お風呂嫌いになる?

専門家の話によると、認知症の人は、お湯がぬるぬると体にまとわりつくような、不快な思いをしているらしい。人によっては温度を認識する機能が衰え、41~42度の適温でも、その人にとっては快適ではない温度になっているらしい。久子さんは、寒くてゾワゾワするから、という表現をしているから、温度に対する感覚に問題があるのかもしれない。

 

それでも、健康のためにもお風呂に入ってもらわねば、週に2回、せめて1回はなんとか頑張ってほしい。

 

頑張ってほしい、という言葉を向ける相手はヘルパーさんのことである。

久子さんにも、これまで何度も『がんばって』と声をかけてきたが、僕には久子さんをお風呂に誘導することはとてもとても難しいことなので、『がんばって』と声をかけることをあきらめてしまった。

 

介護保険サービスのプランでは、在宅で介護サービスを受けている高齢者とその家族のために、手間のかかる入浴介助はデイサービスで受けられるようになっていることが多い。つまり、家族の負担をできるだけ減らすことと、きちんと入浴してもらうために、週に何回か専用車による送り迎え付きでデイサービスに来てもらい、朝9時から夕方4時ころまで入浴だけでなく、いろんなサービスを受けられるのである。

 

母親が介護保険サービスを受けるようになり、日本の介護保険制度が、本当によくできていると思うようになった。

もう10年以上前になるが、介護事業に携わって初めのころは、経営の困難さに、厚労省を何度も恨んだこともあったが、実際使う側になった今、心から感謝している。

 

この業界の一番大きな問題点は、働く人たちの処遇であり、人材不足を解決するための働き方改革が必要だと思う。

 

さて、久子さんが入居している「あおぞら」にも、同じ建物内にデイサービスを受けられる場所があり、入居している高齢者やその家族に大変喜ばれている。久子さんが入居した当時、なんとか入浴させようと、週に3回ほどデイサービス利用を入れてもらったが、毎回入浴を嫌がり、デイサービス利用そのものを嫌がるようになった。

 

こんな幼稚園のような所に押し込んで、と感じていたのかもしれない。表情をみると明らかにイライラしているようだった。デイサービスは多くの高齢者が利用しているので、スタッフは高齢者が安全に利用できることに最大限の注意を払い、入浴、食事、トイレ、体操やゲームと、長時間にわたり多様なお世話を行ってくれる。

 

そのことをよく知っているぼくは、久子さんがデイサービスのスタッフにとんでもない負担をかけているのではないかと心配でならなかった。

デイの管理者や看護師、スタッフの皆さんに『大丈夫ですか、相当なご迷惑をかけていませんか?』と聞いてみるが、一様に『迷惑だなんてとんでもないですよ、ただ、お風呂に入ることは嫌がっています』とのこと。

 

担当のケアマネさんに相談し、デイサービスの回数を週に1回に減らしてもらった。すると、みるみる表情が明るくなり、「あおぞら」に慣れていった。

 

ただし、入浴介助をどうするかの問題は解決していない。

 

ある日、入浴介助の日とは知らずに久子さんの部屋を訪問した。

ピンポーン! チャイムがなり、20代に見える若い女性のヘルパーさんが入ってきた。

 

『久子さん、こんにちわー、お元気ですか』

 

『あら、どちらさんでしたかしら』

 

『今日はお風呂のお手伝いをさせていただきます、○○です、よろしくお願いします。』

 

『あらそうなの、でもお風呂は昨日入ったから、毎日お願いするの悪いわよ、だから今日は結構です。』

 

『そうだったのね、今日はやめておきますか? でも残念だわ、わたし、久子さんと一緒にお風呂に行きたいと思って、お誘いにきたの』

 

『久子さんいろんなお話してくれるから楽しくて、楽しみにしてたの』

 

久子さんの気持ちが揺らいでいることが、目に見えてわかってきた。

 

「頑張ってヘルパーさん!」

 

『久子さん、お風呂入ったら、きれいなお洋服に着替えて、食事にいきましょうよ』

 

『あら、じゃあそうしようかしら』

 

『そうだよ久子さん!そうしたほうがいいよ!今日は特別な料理がでるらしいから、体をきれいにして一番好きなお洋服に来たら?』

ぼくは久子さんが、特別な、という形容詞に弱いことを知っている、だからヘルパーさんの後押しをした。そして、久子さんはうまくだまされ、お風呂に入ってくれた。ガッツポーズ!お風呂に入りながらたっぷりヘルパーさんが会話してくれるから、特別な料理のことはすっかり忘れてしまっている。

 

お風呂から帰ってきた時は上機嫌!ヘルパーさんに「若くてお肌もきれい」なんて話をしていた。

 

『久子さん、よかったね、若い女の人にお風呂入れてもらって!今度は、ぼくも一緒にお願いしようかな・・』

 

『あんたは何をばかなこと言ってるの!!!』

 

久子さんは、突然思い出したかのように、ぼくの母親になって、真剣に叱った。

2022.06.07

カテゴリー:ぼくの久子さん