お正月の訪問

 

お正月、ぼくと家内は息子とお嫁さん、昨年生まれた6か月の孫の5人で久子さんの部屋を訪ねた。

 

久子さんは、大勢の訪問に何が起ったのか、なかなか理解できない。

ぼくの顔とみんなの顔を行ったり来たりでなんとか状況をわかってくれた。

 

『お正月だからみんなで久子さんに新年のあいさつに来たんだよ』

 

『あらー、こんなに大勢でうれしいわ!お正月とお盆が一緒に来たみたいで夢みたい!』

そうだろ、そうだろ、わかっていないかもしれないけど今はお正月だよ。

 

『あら!かわいい赤ちゃん!どこの子かしら』

『久子さんの ひ・ま・ご!』

『そうなの?へぇ〜!あんたの孫?あんたそんな歳になったのかい?あんたいくつになったの?』

 

『この子は、ぼくのおじいちゃんから数えると、5代目長男だよ』

 

『ところでゆうちゃんはいくつになった?』

 

ゆうちゃんとは、ぼくの息子とのこと。
久子さんはとにかく人の歳を聞きたがるが、覚えない。

 

『ばば、元気そうでよかったっす。ぼく30歳になりました。』

 

『もう30歳か!おおきくなったねー。これじゃ道で会ってもわからないね』

 

そうだね・・。明日もう一度来てもわからないだろうね。

 

『ばば、ぼくは昨年に子供が生まれたので、嫁さんと一緒に来ました。』

 

『こんにちはおひさしぶりです。』

 

お嫁さんも声をかけたが、久子さんは以前会っていることなど、当然覚えていない。

 

『はじめまして、まあなんてきれいなお嫁さんだこと。ありがとね。』

 

久子さんの部屋には、すでにひ孫君の写真が、A4サイズ2枚ほど貼ってある。


『あら、この子ね!なんてかわいいのかしら。でもまた男の子かい!』

 

久子さんの子供は男二人、ぼくの子は男の子一人、息子の子も男の子だ。久子さんの気持ちはよくわかる。

久子さんが女の子も生んでくれていたら、ぼくに姉か妹がいたらどんなによかったかと、この5年間にどれほど思ったことか・・。

 

息子による母親介護は本当に難しい。

幼少期から思春期の関係性にもよるが、相手が母親であろうが、パートナーであろうが、認知症の疑いを感じたらすぐに施設介護を選択したほうがよいと、 身に染みて感じている。

 

久子さんとぼくの家内の関係はこれまで良好。

この関係を崩したくないと思っている。

なので久子さんの介護には家内はあまり携わらなくていいと思っている。

 

そんな姿をぼくの息子に見てもらいながら、ぼく自身の体が弱ってきた時はどうしたいか、この道のプロとして、色々考えている。

 

この点はいつか披露する日がくるかもしれない。

 

一方、長生きするだろうぼくの家内が認知症になったら、息子はどう動くのか、楽しみでもあり心配でもあるが、やはりぼくは父のように先に逝って、天国から高みの見物と楽しみたいものだ。

 

ちなみにうちの息子は小学校までは、家内のことを、世界で一番きれいと、ごまをすっていたが、中学卒業のころには、「くそばばー」発言が出たらしい。

 

家内は悔しがっていたが、ぼくは男親として、マザコンよりも、くそばばー発言する息子を褒めたい。

それが将来の介護にどのように影響するのかはわからないが。

 

こんな風にお正月家族がそろったところで、過去と将来のことを考えてみたが、そんなことよりも、久子さんの100歳越えの長生きリスクを忘れてはならない。

 

久子さんより先に逝くことだけは避けなければ!

 

との思いを強くした正月でもあった。

 

みんなで写真を撮った。

何枚か家族みんなで写真を撮っている間中、久子さんは『こんなバンバいつまで生きとるんか、と笑われる』と何度も繰り返し言っていた。
久子さんの部屋にまた一つ幸せ写真が増えてよかった。

 

本当にいつまで生きるんか?と、こちらが聞きたい。
笑っている場合ではない。

 

2022.05.19