最近入居されたAさん

いつものように久子さんが食堂で昼食を食べていると、最近入居されたAさんが前の席に座った。

 

とても品のある80歳をすぎた美しいご婦人。

 

彼女は席に座るなり、

『明日の手配はちゃんとできているのかしら』

と叫んだ。

 

『息子は本当にあてにならないんだから、どうしようもないわ!』

 

『明日には帰らないと、仕事が間に合わなくなるのに、何をのんびりしているのかしら』

 

帰宅願望

どうやらAさんは帰宅願望の強い症状が出ているようだ。

 

近くにいるスタッフに何度も、

『ねえ、どうなっているのかしら、大丈夫かしら』

と声をかけている。

 

突然、責任感の強い久子さんが声をかけた。

 

『こちらうちの息子です』

最近の久子さんの口癖のひとつで、所かまわず突然出てくるフレーズだ。

 

そんなことを言う場面じゃないだろう!

と思ったが、、、紹介されたついでに美しいAさんのために一肌脱ごう。

 

『○○さーん、こんにちは、どうされました?』

 

『うちの息子は本当に時間までに来るのかしら、明日の4時までに帰らないと、大変なことになるので、心配で心配で、どうしたらよいのか、ねえどなたか電話してくださらない?』

 

よくよく話を伺うと、家族で食品配達業をしているから、お客様にご迷惑をかけたくないとのこと。

 

旦那様はすでにお亡くなりになったようだが、でも話の中ではまだお仕事をされている。

 

とてもあせっている様子で、食事にはいっさい手を付けていない。

状況はつかめたので、

 

『○○さん、わかりました、私はこの施設の施設長と友達なので、私が確認して、責任者が必ず○○さんに今日の午後3時までに連絡するようにと、施設長に伝えておきます。』

 

 

『あら、ご親切に、ところで初めてお会いしますが、どちら様でしょうか』

 

『うちの息子です』

 

久子さんのどや顔があった。

 

『あら、いいわね、こんなしっかりした息子さんで、うちの息子とは大違い』

 

『本当にお願いしていいのかしら』

 

『はいお任せください、施設長にはよーく伝えておきますよ』

 

『よかったわ、これでごはんも食べられるわ』

 

突然、久子さんが水をかけるように割り込んできた

 

『あんたそんなこと言って大丈夫なの?できもしないこと言っているんじゃないの?』

 

人の好意を無駄にするようなこと言わないで、お願い久子さん。

 

Aさんには聞こえていたが、彼女は僕のことを信頼しているようで、

 

『大丈夫よ、この方だったら安心だわ』

 

『うちの息子です』

 

久子さんは嬉しそうだった。

 

ぼくは、約束通りに施設長にしっかりお伝えした。

 

後日、Aさんにお会いした時、

『こんにちは、○○さん先日はどうでした?』とお声をかけたが、『初めてお会いしますが、どちら様ですか?』

 

と聞かれた。

 

Aさんは、まだ「あおぞら」に慣れていないようで、帰宅願望が強く、夕方は1階で頻繁にスタッフに声をかけているようだ。

 

久子さんのお隣さんなので、お見かけした時は必ず声をかけよう。

 

 

 

2022.03.29