とにかく一日も早く、久子さんを安心できる施設に入れなければ!!
前職では7年間ほど、介護事業の責任者を任されていたことから、高齢者施設は何件かよく知っている所があるので相談をしてみた。
特に開発から携わった埼玉県狭山市にあるサービス付き高齢者向け住宅の「あおぞら」は有力候補だ。
運よく空きがあり、施設長も理解を示してくれた。それでも入居までの手続きに3週間はかかりそうだ。
一時的でもいいから、早く久子さんに人間らしい生活ができる環境に移ってもらうことが先決だ。
施設への入居日。
引っ越しは、2月23日の天皇誕生日に決まった。久子さんが20年以上暮らしたマンションの管理人さんも、引っ越しが決まると大変喜んでくれた。
管理人さんはいつも穏やかで、ぼくたち一家を支えてくれた大恩人だ。感謝の気持ちと共にとても寂しい気持ちに襲われ、お互い言葉をつまらせた。
引っ越し当日、朝から久子さんは落ち着かない様子。弟と二人で、いろんな言葉で久子さんを説得した。
『天国のお父さんも、これで安心と言って喜んでいるよ』
『あの人は、よその女に貢いでいたからなんとかかんとか・・・』
またわけのわからないことを言いだす。
久子さんを説得する
久子さんは自分がやりたくないことを人から強要されると、即座にとんでもない理由をつけて動こうとしない。それでも、食事に行くことを理由に車に乗せた。
車の中では、何度も
『どこへ行くの?』
と聞いてくる。
そのたびに
『マンションの管理人さんに迷惑をかけてしまったから次のよいマンション見つけたから、引っ越すんだよ。』
と説明した。
なんとなく本人もわかっているような様子。いつもなら管理人さんの話をすると、久子さんは必ずこう言った。
『管理人さん私を見るといつもね、本当にしっかりしてるね!うらやましい。って言うのぉ〜。』
そうやって一人暮らしが問題ないことを強調するのだが、今日はだまっている。
久子さんの人生で、結婚して嫁ぐ日に次いで、この引っ越しは大きな転機なのだが、本人にとっては喜ばしいことではない失意の転機だ。
ボヤ事件以来、ぼくも弟もそれだけを願っている。
施設に到着
お昼は地域で有名な武蔵野うどんを食べて、「あおぞら」に着いたのは午後2時ころ。ホームセンターや家電量販店で必要なものを揃え、夕方にようやく落ち着いた。
それでも足りないものが色々あり、その週は一日おきくらいに通った。
「あおぞら」で初めての夜
久子さんはどこで転んだのか、頭に大きなタンコブを作っていた。スタッフも心配な様子だが、本人は転んだことを覚えていない。
どうも今使っている靴が原因だ。
履くときによろけている。なれない環境で靴を履いたりぬいだり、そのたびに転んでいたら骨折か脳出血ということにもなりかねない。
福祉用具レンタル業者に頼んで履きやすい靴を買いに行った。
『ピンク色と紺色がありますが、どちらのお色がよろしいですか?』
業者さんに聞かれて、久子さんは迷うことなく
『この年になってピンクなんて履いたらダメ!』
感心した。好き嫌いをはっきり表に出し、プライドが高い。超〜元気でおしゃべりな久子さんの「あおぞら」での生活がいよいよ始まった。
ぼくは心の中で大きく叫んだ。
『くわばら、くわばら。』
2022.03.22