認知症に対して想うこと

人権問題については日本でも法整備が進み、国民も高い関心を寄せていますが、認知症という病気と闘っている人たちについては、まだまだ関心度が低いように思います。

 

認知症にかかった人と、一緒に住める社会を目指す「ノーマライゼーション」という言葉を目にするようになって久しいですが、理想と現実のギャップはまだまだ大きいようです。

 

コロナ禍でVR(仮想現実)の世界旅行が流行っているようなので、VRの技術で認知症の世界を旅する企画があったら、認知症の世界をより広く世間に知らせることができるかもしれないですね。

 

想像してみよう

 

私の経験をもとに、認知症になった人がどんな世界にいるのか、想像してみたいと思います。

私たちは目や耳、鼻、手や皮膚などから、いろんな感覚を認識することができます。

 

でも、認知症になった人たちは、どうもこれらの認知機能が衰えているようです。

 

また、直前に起こったことすら記憶できない人もいる、ということを、私は母親である久子さんを通じて、その実態をよく知っています。

さらに、見えるはずのない物が見えたり、聞こえるはずのない音が聞こえたりする人もいるようです。

それらが原因で、認知症になった人たちは様々な異常行動をとり、健康な人たちを驚かしたり、困らしたりしています。

 

そして不思議なことに、認知機能や記憶機能は衰えても、不安やさみしい気持ち、怖い気持ち、怒り、といった感情は衰えていない、それどころか感度が高まっているように思うことが多いのです。

 

認知症にかかった人たちは、こんな世界で、ひとりで不安や混乱と闘いながら、毎日怖い思いをたくさんしているのではないでしょうか。

 

お札や小銭などいろんな種類があっても、その区別がわからない。

お風呂に入ったら、お湯が体にまとわりついて気持ち悪い。

トイレのマークを見てもトイレだとわからない。

暑い日や寒い日、どのような服を着ればよいかわからない。

液体が入った瓶をみてもジュースか洗剤か区別がつかない。

 

想像できますか?

一方で、子供の頃に見た美しい風景の中にいたり、すでに亡くなった好きだった人と一緒にいたり、映画の中の感動シーンにいたり、もしかするとこのような世界で楽しい幸福な経験をしているのではないだろうかと感じることもあります。

 

私は、認知症になった人たちは、不安とか怒りのような負の感情だけでなく、喜びや幸福感といった良い感情も衰えていない、時には感度が高くなっているのではないかと、最近になって感じるようになりました。

 

そうだとすると、まわりにいる健康な人たちが、そのことを理解して、いまどんな世界にいるのか想像ができれば、認知症の人たちの不安や混乱を少なくし、喜びや幸福感を保ってあげることができるのではないでしょうか。

 

怒りをぶつけるより、調和してみる

 

嘘でもいいじゃないですか、否定したり、叱ったりしないで、不安や混乱をしない方向にうまくリードする言い方、そして楽しい世界に一緒に入って喜んであげる言い方を、考えてみませんか。

 

『お父さんはもう何年も前に死んだでしょ!』ではなく

『楽しそうだね、お父さんは何て言ってたの、私にも教えてよ』

で話の続きを聞き出して、一緒に楽しむ。

 

『そんなの飲んじゃだめでしょ!』ではなく、

『もっとおいしいもの用意しているから、これ飲んでみて』

と取り換えてあげる。

 

『私が財布を盗んだって言うの!あなたがボケていて、どこかに置いたのを忘れたのよ!』ではなくて

『ごめんなさい、買い物を頼まれたからスーパーに行って帰ってきて、そのあとどうしたかしら、探すからちょっと待っててね』

と一緒にさがしてあげる。

 

『ごはんは今食べたとこでしょ!何をボケたことを言ってるの!』ではなく

『いま直ぐに準備するので、お茶飲んでもう少し待っててね』

と言って席をはずす。

 

こんな風に、受け止めて寄り添うように一緒に動く、イメージでしょうか。

穏やかに日々が流れることによって、認知症の進むスピードが緩くなると、私は確信しています。

 

なぜなら、ストレスは認知症を悪化させる原因と考えられているからです。

ぜひ、認知症のひとの世界に入って、一緒に楽しんでみませんか。

2022.03.06

カテゴリー:認知症