仕事の都合で、ぼくは宇都宮駅で電車を乗り換えようと構内を歩いていた。
時間があったのでトイレに入ると、見た目が高校生くらいの男性が洗面所の鏡を見ながら、手足をバタバタさせながら時々大きな声を発していた。
体格のいい男性だった。
何を言っているか聞き取れないが、思い通りにいかない事があって、興奮しているように見えた。
ぼくにはどうすることもできずに、外に出ようとすると、トイレの外から女性の声がした。
「○○君、お願いだから早く出てきてー、バスに乗り遅れるので早くしてー」
でも彼はバタバタするだけで、トイレの外に出ようとはしない。
女性の声は何度か繰り返された、ぼくはトイレの外に出て、女性に声をかけた。
「私がお連れしましょうか」
「お願いできますか、男性トイレには入りづらいので、そうしていただけると本当に助かります」
そうは言ったものの、この人たちを助けられる自信は全くと言っていいほどなかった。
ただただ、このお二人の困り様は普通ではないと感じたので、自然と言葉が出ていた。
ぼくは彼の背中をさすりながら、ゆっくりと話しかけた。
「お母さんが心配しているので、トイレの外に出ようか」
女性がお母様かどうかはわからない、トイレを済ませることができたのかわからない、とにかく彼が体を前に動かしてくれることを祈った。
背中をゆっくりさすりながら、10秒ほど経った時、彼は少しずつだが前に進みトイレの外へと向かった。
その間も前よりも大きな声で何かを叫んでいる。ぼくは、がんばれ!と心の中で叫びながら、背中をさすっていた。
トイレの外に出ると、女性は優しい笑顔で彼を迎えていた。
「よかったね、この人にお礼を言って」
「ありがとうございました」
その言葉は、はっきりと聞き取れた。
そして彼は深々と頭を下げてくれた。
その瞬間、いろんな不安が晴れて、幸せな安堵感を味わった。
生まれて初めて、障がいを持った人が困っているところを助けることができた。
これまでは、正直なことを言うと、声の大きさに怖いと思う気持ちがあり、声をかけることができなかった。
ぼくが小学生の頃、近所に障がいを持った子供がいる家があって、久子さんはぼくに教える様に、よく言っていたことを思い出した。
福子といってね、障がいを持った子供は神様の使いでね、福をもたらす子として大切に育てられるのよ。
人種差別が少ない日本の良い風習なのかもしれない。時代が変わっても良い風習が続くといいと思う。
そして、家族だけでなく周りの人も同じ様に、大切に見てあげられて、自然に声をかけられる地域社会がいい。
高齢者だけでなく、長い人生を一人で生きていくことが困難な人たちのことも、忘れてはいけない。
2024.01.24