この記事の目次
この人だれ?
「今日は父の命日だよ」
そう言っても、久子さんの返事は軽い。
「あ、そうなの?知らんかったわ」
自分の聞きたいことは何度も何度も繰り返し聞いてくるが、父のことは何も聞こうとしない。
大切な夫のことすら忘れている自分のことを、おそらくこれ以上せんさくされることが嫌なのだろう。
あの夏の日も暑かった。
葬儀の日は確か気温は36度はあったと思う。
久子さんはなんとか喪服を自分で着ることができたが、靴下と靴が喪服に合っていなかったので、変えてもらった記憶がある。
あれから8年が経った。
同時に久子さんが認知症を発症してから8年以上が経ったことになるが、そんなに経ったのだと、今になって思うとあっという間の時間に感じてしまう。
父の看病、そして葬儀、その間久子さんは自分の感覚がおかしくなっていくことを、おそらく自覚していたにちがいない。そんな母のことをなぜもっと優しく接してあげられなかったのか、今冷静になって思うと胸が苦しくてたまらない。
プライドの高い久子さんを説き伏せようと、態度を正そうと必死になっていた自分が恥ずかしい。
そんな事をしても認知症を発症している人にとって、悪影響しかないのに。
父の葬儀の集合写真が久子さんの部屋に飾ってあって、今の久子さんとは違って、お顔はとても若い。80代の8年は人の顔を大きく変えているようだ。
「この人だれ?」
葬儀の集合写真の話になると、いつもきまって、ぼくの顔を指しながら、この人は誰?と聞いてくる。
「これあんたか?老けて見えるからお父さんかと思った。貫禄が出てきたからよかったね。」
いつもこうして久子さんは笑ってごまかすのである。
気がかりなこと
「あんたは太ってもなく痩せてもなく、ちょうどいい体つきしてる」
最近は何度もこの言葉が繰り返し出てくるので、必ず答えるようにしている。
「久子さんが丈夫な体に産んでくれたからだよ。」
久子さんはとても喜んで笑うので、このフレーズは繰り返し言われても悪い気はしない。
子供は二人だけだが、長男の父は7人兄弟だったので、若い頃は大家族の面倒を見なければならなかった。
一生懸命働いて、波瀾万丈の人生を送った母の終末期、どうしたら少しでも幸せな日々を送ってもらうことができるだろう?
以前のように顔を合わせるとケンカになってしまう、そんな認知症の混乱期はとっくに過ぎたが、少し落ち着いてきたので可愛く見えてくると、一人で暮らしている母がとてもふびんに思えてくる。
これは、今のぼくにとって最大の悩みである。
2023.08.31