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久しぶりの訪問
気力をふり絞って家を出た。
暑い!午後3時半の太陽の位置は、日陰を作ってくれてはいるが、まとわりつく湿度までは下げてくれなかった。
久子さんとは2週間以上会っていないので、どんな様子か気になってドキドキする。
暑さとドキドキでぼくの心臓はオーバーヒート寸前。
どちら様ですか?という言葉が出てこないように、という気持ちがあるので、できる限り間隔を空けたくない。
汗を拭いながら施設の階段を上がっていくと、涼しげな顔で黙々と食事をしている久子さんがいた。
そしてぼくの顔を見た瞬間から、68話と同じ機関銃のようなおしゃべり状況が続く。
部屋へ戻ってからも、今日はいつもに増して、同じ内容の会話が繰り返し繰り返し続いた。
2週間以上空いたからなのか、今日は本当にすごい勢い!
普段一人でいるから、たまに知った人が来ると、しゃべりたくて、しゃべりたくて仕方がない!ということが容易に想像できた。だからぼくもできるだけ我慢して、反応してあげるようしている。
おしゃべりな人が普段会話をする人がいない状況を想像して、久子さんを不憫に思う気持ちが大きくなった。
あの頃の恐怖
久子さんには本当に心配をかけてきた。
久子さんに聞いても「そんなことあったのか、覚えとらんわ」と言うだけだが、ぼくにとっては大きな事故だった。
中学3年生の6月の日曜日、ぼくはサッカー部の中学最後の大会に向けて行われた、強いチームとの練習試合に先発メンバーとして出ていた。ぼくの役目は今で言うボランチの位置で相手チームのエースストライカーの動きを止める役目だった。
150cmほどしかないガリガリのぼくは15cm以上身長の違うスピードある選手を常にマークしていた。その選手と5mほど離れていたとき、ちょうどその中間にボールが落ちてきた。両者の体は同時にボールに向かった。
二人の右足とボールがほぼ同時に接触し、ボールはサイドラインを超えていった。その瞬間ぼくは左足の激痛でその場にうずくまった。
でも立つことができたので、骨折はしてない、ストッキングを見ても小さな血液の点が見えるだけなので、プレーに戻った。
しかし、まともにプレーできる状態ではなく、すぐラインの外に出て交代した。ストッキングを下ろして驚いた。
足首のくるぶしのてっぺんから皮膚を裂くように、長さ8cmにわたり裂けて赤い中の組織が見えていた。すぐに救急車で運ばれたが、日曜日の午後対応できる病院はなく、手術を受けるまで4時間ほどかかり、そして1週間の入院生活をおくった。
受験を控えた中学3年の夏だから、親だけだなく、担任の先生も心配してくれたが、ぼくはそんなことより痛みとの闘いで頭の中はいっぱいだった。
寝ている状態から足を下げると激痛が走るのでトイレが大変だったことだけ覚えている。
退院してからは、毎日の学校の送り迎えと病院通いは、久子さんが車を運転して対応してくれ、3ヶ月は続いた。
久子さんの介護が面倒だと思ったとき、このことを思い出し、自分を諌めるようにしている。
自分がいま幸せに暮らせているのは、親がどんなときも子供のことを優先して、きちんと育ててくれたからに他ならない。
テレビでは小さな子供が、親の虐待により死亡する事件の報道をしていた。

2023.08.10