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夏の訪問
今年の7月は暑い日が続いて、埼玉県狭山市もこの日37度をこえていた。
アスファルトの上を歩いていると、40度は超えているだろう。
とテレビから流れてきたので、この暑い中、久子さんを訪ねることの是非を考えているうちに、どんどん時間が経っていた。
ダラダラと何もしない時間が続くことに嫌気がさしてきたので、思い切って少しでも涼しい時間帯の夕方をねらって久子さんを訪ねることにした。
それでも暑い、電車に乗りながら、なんて親孝行な長男なんだろう!と自分を励まし続けた。
計算通り夕食の時間に到着して、すでに久子さんはカレーライスを美味しそうに、でも無言で食べていた。
だが、ぼくの顔を見た瞬間から、その機関銃は大量の火を吹き始めた。
認知症の悲しみ
「あらまぁ、なんて珍しい人が来たこと!」
「何年ぶりかしら」
「うちの息子なんです。」
「本当に何年ぶりかしら、ところであんたいくつになったの?」
「うちは男ばかりで、誰も来てくれないから、つまらないわよ」
久子さんは、ぼくに問いかける言葉と周りで食事している人たちへの言葉と、相手が答える暇もなく、思いついたことをしゃべりまくっていた。
周りの人はなんともいえない笑顔で、静かにぼくの顔を見ていた。
あれ、いつも久子さんの前に座って食事をしていたAさんの姿がない、そういえば最近見かけてないなぁ…。
まさか?!!
嫌な予感がしつつ、帰りに施設長に聞いてみた。
「肺炎で入院されていたんですが、お亡くなりになったんです。」
82〜83歳だったのではないだろうか。見た目はお若く、上品な語り口で、お綺麗な方だった。とにかくお家に帰りたいので、家族に早く迎えに来てもらいたい、いつもそのように仰っていた。
佇まいや言葉から想像すると、家柄や教養の高さが感じられた。
認知症になるまでは、厳しい時代の忙しい中でも、豊かな人生を送られてきたのではないだろうか。
あんなに毎日お家に帰りたいと言っていた彼女、亡くなられた後、お家に帰ることができたのだろうか?病院からそのまま斎場に、ということではないように、心から願った。
彼女にとっては、あおぞらではなく、住みなれた自分の家で最期を迎えたかったのだ。ぜひ第7話を読んでいただきたい。
これまで、介護事業を経営していた時代、そして会社を退職して久子さんが入居し2年半が経ち、多くの高齢者の生活を身近に感じながら見てきたが、その中でもとても印象に残った方だった。
あおぞらは確かにバランスがとれた良い施設だと思う。しかし、解決が困難なたくさんの課題をかかえていることも事実だ。
お家に帰りたい、認知症を患った高齢者の中で、夕方になるとそのような行動を取る方が多い。どんなに寂しい辛い思いをしているのだろう。
帰り際、久子さんが言った。
「本当に食事が合っているのか、ここはいいところ、こんなに元気!」
「あんたももういい歳なんだから、体に気をつけてよ、ところであんたいくつになったの?」
今のところ久子さんはお家に帰りたいとは言わない。
2023.07.28