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人生100年時代
あおぞらから請求書が届くと、その中には明細とともに、デイサービスで行われているイベントの様子がわかるカラーの報告書も必ず同封されている。
100歳おめでとう!
の赤い文字が目に飛び込んできた。
あおぞらに暮らす高齢者の中に100歳の誕生日を迎えた人がいる。
あおぞらは介護付き有料老人ホームではなく、ましてや特別養護老人ホームでもない、高齢者が自分でできることはできるだけ自分で行いながら生活するサービス付き高齢者向け住宅なのだ。
つまり、24時間体制で一人ひとりのプランが作られている施設ではなく、必要な時に必要な分だけ介護サービスが入るが、24時間ずーっと包括的に介護サービスが入っているわけではなく、その分自由な暮らしが保障されている高齢者向けのアパートのような所だ。
その中で100歳を迎えてお元気に暮らしていることは、なんと素晴らしいことか。
まさしく人生100年時代、理想とする介護の在り方、そのひとつがここに存在している。
あおぞらの職員のみなさんに心から感謝の気持ちを伝えたい。
『久子さん、いいところで暮らせてよかったね』
『ほんと、ほんと、とっても幸せよ、食事も美味しいし』
これはあおぞらを良い場所だとアピールしたいため、誇張して書いているわけではない。
ぼくと久子さんとの会話を一字一句そのまま書いているだけのこと。何度聞いても同じ答えがかえってくるのだ。
あおぞらがオープンしたのは2013年3月27日、ちょうど10年の誕生日を迎える。
ぼくの恩人
あの日は、青い空が広がる春らしい陽気の1日だった。
さくら咲く
弥生の空より
尚宏い
心を込めての
ケアはあおぞら
この句は、あおぞらを建設するために土地と建物を売ってくださった地主さんが、オープン当日に詠んでくれたもの。
この方は元議員さんで地元の名士として長年地域に貢献してきた方。お亡くなりになる前の半年間ほど、あおぞらに入居されていた。
とても温厚で優しい声でお話をされる姿が忘れられない。
戦争中の体験談を何度かお話された中で印象的だったのは、飛行場を整備していたとき、アメリカ軍のグラマン戦闘機から直接機銃掃射をうけ、うまくよけることができて九死に一生を得たこと、そのとき近くではねた12.7ⅿⅿの弾丸を拾って大事に持っておられたことだ。
ぼくの人生に大きな影響を与えてくれた恩人の一人で、感謝の念に堪えない。
あおぞらは、地元で誠実な仕事をする建設会社さん、川越市でおいしいうなぎや和食を提供しているフードサービスの会社さん、市役所のみなさん、地域の医療や介護、福祉の仕事をされている方々など、たくさんの方々の支援をうけオープン、そして10年間多くの方々に入居していただいた。
私があおぞらの運営に携わっていた期間は4年間ほどでなので、詳細はわからないが、これまで200人以上の人があおぞらに入居されたことは間違いないだろう。そして働いている職員の皆さんにも感謝したい。
施設長をはじめ、ケアマネージャー、訪問介護、訪問看護、デイサービス、福祉用具サービスの方々の中には、オープンのときに入社してくれた勤続10年の人が何人もいる。
あおぞらの雰囲気がよいのは、オープン以来ずっと運営理念を守ってくれたからだと思う。建物は大企業の社員寮だったときから数えると30年目に入ったが、重厚な鉄筋コンクリート造なので、改修工事は定期的に必要だが、すくなくとも30年は大丈夫だろう。
ぼくが後期高齢者になり、要介護度が高くなったとき、あおぞらで暮らしているかもしれない。
そんな想像をしてみた。
あれ?ん?
久子さんがもしかすると、もしかして、100歳をこえて元気だとしたら、ぼくと一緒にあおぞらで暮らしている?
そのころ、『ぼくの久子さん』は『ぼくのあおぞら』になっているかもしれない….。
2023.04.04