甘くみてた…

 

北風が冷たい2月のある日曜日、久子さんを訪ねることにした。

 

天気は良くお日様が出ていたので、狭山駅からあおぞらまで歩くことにした。歩いても片道15分なので、晴れて暖かい日はよい散歩コースになる。

 

雲一つない青空の中、「あおぞら」まで気持ちよく散歩できるだろう!!

 

……….甘かった。

 

2月中旬の太陽では、まだまだ冷たい北風を相手に十分な暖かさを届ける力はなかったのだ。

 

ブルブル、ブルブル「うー寒い…バスに乗ればよかった…」

 

後悔しながら早歩きであおぞらに向かった。

 

ピンポーン、ピンポーン、少ししてドアが開き、とても血色がよい久子さんのお顔が見えた。

 

『あらまー珍しい人が来たこと、さあ入って入って、でもごめんね、何も食べるものないの』

 

『あんたいくつになったの?』

 

ドアが開いて最初の反応パターンの中で、久子さんが一番元気な時のパターンだ、おそらく今日は無事に会話ができるだろう。

 

『今日は天気がいいね、暑いくらい、クーラー入れようか』

 

『大丈夫です久子さま!このままで!』

 

どうか、どうかこのままにして…頼む…

 

あおぞらの中はいつも暖かい、そして風は少しも入らないので、今日みたいな日差しの日は北風の冷たさはわからないだろう。

あれから2年

こんなに快適な生活を送れるあおぞらに久子さんが入居してはや2年が経とうとしている。

 

九死に一生を得たと言うと少し大げさかもしれないが、鍋を火にかけたまま何時間も経って部屋中が煙だらけの中、久子さんはボーっと立ちすくんでいたところを救出された、あの時から2年が経ったのだ。その半年前には特殊詐欺にもあっていて、認知症高齢者の一人暮らしが遭遇する危険をいくつも経験しながら、ようやくこの快適なあおぞらに到達し、人生最後の生活環境の中に身を置いている。

 

久子さんは、結婚して子供二人を生んだ30歳頃は、敷地面積45坪ほどの2階建ての古屋に9人の大家族が生活をしていて、忙しく仕事と家事をこなしていた。

 

その久子さんが今は18㎡の部屋の中で一人暮らしている。

 

何度も久子さんに『一人で寂しくない?』と聞いても返ってくる言葉はいつも同じ

 

『なーんにも寂しくない、さみしいことなんて一つもないわ』

 

これまでたくさんの人たちの面倒をみてきたので、一人で静かにしていたいのかもしれない。

 

でも壁に貼ってある写真を見ながら、『もうみんな死んでしもーた、残っとるのは私だけ』と話すときの表情はやはり寂しそうだ。

 

写真に写っている人たちのほとんどはまだ元気な人たちばかりだが、久子さんは5年以上会っていないので石川県の親戚みんなは死んだと思っている。

 

あれ、なんだか静かだなあ….振り返ると久子さんはぼくが買ってきたどら焼きをもくもく食べている。

 

『あー、久子さん、どら焼きそれ3つ目でしょ!』

 

『あんたが買ってくるどら焼き、特別のところのだから美味しくて』

 

『もうすぐごはんの時間だから、ご飯食べられなくなるよ…』

 

これじゃまるで親が子供をなだめるような会話だ。(あれっ?親と子ども…まぁ..間違ってはいない…か??)

 

元気だから食欲がある、食欲があるからまた元気になる。この食べっぷりはますます100歳バンバ誕生リスクが高くなったのだった…。

2023.03.07