新年の挨拶
1月1日お正月、今年こそは久子さんに美味しものを食べてもらおうと、いろんなお菓子や果物を買い込んで家内とあおぞらへ向かった。
去年はセブンイレブンのおせちが入れ歯では噛み切れず食べられなかったので、今年はリベンジだ!
何度目かにドアが開いて久子さんの顔が見えた。
今年最初の発声は
『あらまー、めずらしい人』
だった。
いつもとあまり変わらない久子さんの言葉。
ぼくとしては特にめずらしいことではないのだが…でも…何かが違う。
久子さんのことをいつも心配している長男は、母の微妙な変化を見逃さなかった。
『久子さーん、あけましておめでとうございます。今年もよろしく!』
家内と二人で新年のあいさつをしたが、久子さんはきょとんとした表情をしている。
『えっ、今日はお正月なの?知らなかった!』
『早く教えてよ、買い物にも行ってないし、来てもらったけど何も用意してないよ…』
『お母さん、大丈夫ですよ、たくさん美味しい物を買ってきたから一緒に食べましょう!』
家内が久子さんに声をかけたが、返事がない。
とりあえず、久子さんを近くの共有で使える個室に連れ出し、買ってきた食べ物を広げた。
『あらまー美味しそう』
『あれ??いつもより声が小さいなぁー?やっぱりいつもと明らかに違う・・』
いつもだと美味しい物を見た瞬間に、手をあげるか合わせるか、満面の笑顔で喜びを表現するが…今日はまったくと言っていいほど、静かな反応だった。
やっぱり何かがおかしい・・・
『久子さん、元気ないね?どこか痛い?体がだるい?』
いろいろ聞いてみたが、何を訪ねても
『どこも痛くもかゆくもないよ、元気よ』
そう答えるだけ。
でもいつもの久子さんと明らかに違うのは、10分以上たって未だに
『ところであんたいくつになったの?』
が出てこないのだ。
お正月に顔をあわせたとき、今年はいくつになるの?と聞かれてもおかしくないはず…
ぼくを毎回苦しめる久子さんお決まりのフレーズ『ところであんたいくつになったの?』が無い。
それにみかんを半分ほど食べて、あとは何も食べない。
30分ほどして、久子さんは大きなあくびをした。
『ねむいのかな?お部屋で少しお昼寝する?』
『うん..そうする。』
どこが辛いわけでもなさそうだが….
なんとなく体がだるいのか…ただ眠いだけなのかわからないが…
残念ながら、今年のお正月も久子さんを喜ばせてあげることはできなかった。
陽性反応
翌日の朝。携帯電話電話が鳴った。
スマホの画面にはあおぞらの施設長とあった。すると、ぼくの胸がドキドキと動き始める感覚がわかった。
『もしもし』
おそるおそる電話に出た。
『久子さんですが、コロナの陽性反応がでましたので、その対応をさせていただきます。症状は昨晩少し熱がありましたが、今朝は平熱にもどっています。』
久子さんの元気のなさはここからだったか!と納得した。久子さんはワクチンの5回目を打っているのでそれほどひどい症状ではないようだが、日頃から元気な久子さんがコロナにかかったことが原因で昨日元気がなかったのだ。
『ご迷惑をおかけしますが、母をどうぞよろしくお願いします。』
こういう時に家族の代わりに施設の人たちが対応してくれる、本当に頭が下がる思いだ。
妻が言うには、ぼくは久子さんの近くで話をしていた時に、無意識にマスクを下にずらして話していたようだ。
というわけで…濃厚接触者になる…。
その4日後の昼頃、残念ながらその楽観的な思いは裏切られることとなった。
そして、その日の夕方。手元にあった抗原検査キットは、はっきりと陽性をしめした。
久子さんの様子が変なので、妻に言われて思い返せば、心配のあまり近寄って話していたかもしれない。コロナは感染力が強いと実感した瞬間だった。
ぼくが発症して3週間がたった頃、久しぶりに久子さんを訪ねた。
『あら、めずらしい人が来たこと、さぁ入って入って〜!!』
そこにはいつもの超元気な久子さんの姿があった。
『ところであんたいくつになった?』
お決まりのフレーズがでる。元気でそうでよかった…。
あおぞらの管理室の人の話では、コロナに感染した久子さんの食欲は旺盛で、3食きちんと食べていても、お腹がすくらしく、ご飯を食べさせてもらえない、ちゃんとご飯が食べたい!と訴えていたそうだ。
久子さんの無茶な態度がいろいろあったことを思うと、あおぞらの従業員の皆様は大変だったのだろうと察する。
ぼくには容易に想像ができてしまうのだ。
本当に施設の皆様ありがとうございました。
おかげでぼくはなんの苦労もなくコロナの養生をしながら過ごすことができました。
2023.02.22