たのむ、頼むから….。
『どうして前もって言ってくれないの!』
『石川県のお墓参り行きたいにきまっとるけど、100%行きたいよ、でもね当日言われても困る!』
『あいたたたたっー、痛い、痛い、痛い!』
久子さんは演技力を最大限にいかして、体中が痛いことを表現しだした。
顔を合わせてから10分ほどだが、どんどん痛みの場所が増えると同時に、声も大きくなるので、どうみても元気な人が仮病を使っているようにしか見えない。
『カレンダーに書いてあるように、ずーっと前から久子さんに話していたんだよ』
『そんなこと知らんわ!!前もって聞いていたらちゃんと美容院に行って綺麗にしてたのに、それに今日は体中が痛いからまた今度一人で行ってくるから大丈夫』
弟が到着した。
『準備できたー?車を用意したからお墓参りに行くよー』
『ん??あれ…?どうしたの?』
弟も異様な空気を察して固まっている。
『お墓参り行きたいんだけどね、体が痛くて痛くて、今日は行かれんわ』
『どうしたの?どこか具合が悪いのかな?医者に診てもらう?』
弟は最初のうち真剣に病気を心配したが、何度か久子さんの反応を見るうち仮病を疑い、車に何とか乗せようと説得しだした。
『何年もお墓参りに行っていないでしょ、遠くてなかなか行けない所けど、今回やっと休みが取れたので、親子でお父さんのお墓参りに行くんだよ』
『私も100%行きたいよ、でもね無理よ、こんな体では本当に無理!』
『ほら、痛くて歩けないから』
今日の久子さんは、石川県に行くことに対して、不安や、どうしようか?と迷っているレベルではなく、どうやら本当に行きたくないようで、弟も私もこれ以上の説得は困難だと、意見が一致した。
『じゃあ、ぼくたちだけで行ってくるよ』
『うん、お願い、かわりによーくお参りしてきてね、お父さんによろしく伝えてね、久子はまだまだ元気にしとるさかい、「このクソバンバまだ生きとるんか」って笑われるかもしれんけど、お願いします』
久子さんは安どの表情を見せ、ぼくたちを見送った。
そして兄弟2人で石川県に向かった。
親戚の人たちに迎えられ、美味しい食事を食べながら、久子さんの近況を話しながらその日の夜ホテル百万石に泊まった。
3人分の宿泊費が取られるため、伯父さんの一人が泊ってくれた。夜中遅くまで本当に楽しい時間を過ごすことができた。
翌日、気温は午前中から35度を超え、前日の疲れもあり、7か所の墓参りは気が遠くなるようなハードな移動となった。
ここに久子さんが入ったらどんな事になっていたか、想像すると怖くなった。
残念なことで、久子さんが行きたくないと言ってくれたことが、猛暑の中でありがたく思えてきた。
その日の夜のホテル百万石は、早くから睡魔に襲われたため眠るだけになり、あっという間に最後の朝を迎えた。
3日目は早めに石川県を発ったが、やはり埼玉県に入ると渋滞が続き、狭山のあおぞらに到着したのは18時近くになった。ちょうど食事時間で、食堂には久子さん以外も多くの入居者さんが食事をしていた。
久子さんは兄弟2人の顔を見て
『あらまあー、珍しい人が二人そろってどうしたの、何年振りかしら?』
となりに座っている仲の良い入居者さんにむかって笑顔で話しかけている
『うちの息子二人です。』
『男ばっかりで、何年も会っていなかったのに、今日はめずらしいことが起ったみたいで、ほっほっほっー』
ドヤ顔で、満面の笑みを浮かべながら、楽しそうに笑っている。
ぼくたちは石川県で買ってきたお菓子を、ひとつずつ、食堂で夕食を食べている入居者さんに配ることにした。皆さんとても喜んでくれたので、久子さんは鼻高々に、陽気に、皆さんに話しかけている。
『うちの息子です。男ばっかり、今日は何しに来たのかしら、はっはっはー』
『久子さんの代わりに石川県に行ってお墓参りしてきたよ、お父さんのお墓に参って来たよ』
『そうだったの?!それはご苦労さん、ありがとさん!』
久子さんは、とにかく上機嫌で元気はつらつ、入居者さん全員に愛嬌を振りまいていた。
弟は、こんなに元気な久子さんに安心したようで、今度は涼しい気候のよい時期に計画しようかと提案してくれた。
2023.02.07