Aパターン

朝の9時ころ、久子さんのいる施設、「あおぞら」に到着、検温と手洗い消毒、面談シートの記入を終え、久子さんの部屋に向かった。

 

途中、廊下で今でも帰宅願望がとれない○○さんにお会いしたので声をかけた。

 

『○○さんおはようございます。今日もお元気そうですね、ぼくもうれしいです。』

 

『あらどちら様かしら?どこかでお会いしましたか?でもわたくしの名前をおぼえてくださるなんてうれしいわ、どうもありがとう、うふふ』

 

とても品のある美しいご婦人、なかなかぼくのことはおぼえてもらえないが、声をかけるととても喜んでくれるから、こちらもうれしい。

 

久子さんが近くにいたら、どや顔でこう言うだろう

 

『うちの息子です』

 

廊下をはさんで、そのご婦人の部屋の前が久子さんの部屋だ。廊下で話している人の声まで聞こえると、いつも何回も何回もぼくの自慢している久子さんだから、ぼくと○○さんの会話も聞いているにちがいない。

 

『ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、あれ出てこないなぁ』

 

何回かチャイムを押しても久子さんが出てこないので、どこか別のところにいるのだろうか?と思い廊下を2~3歩歩き始めたところ、ガチャっと戸が開いた。

 

そこには眠っていたと思われる、とてもくしゃくしゃの久子さんの顔があった。

 

普段元気な久子さんのお目目はパッチリ、そんな目は今日はほとんど開いていない。

 

『やっと起きれた、寝たきりだったの、もういつ死んでもいいわ』

久子さんが部屋のドアを開けたときの一声は、どうやら2種類に集約されてきたようだ。

 

パターンA:やっと歩けるようになった、もういつ死んでもいいわ!

 

パターンB:まあ珍しい人が来た、あんたいくつ?

 

このふたつである。

 

今日はAパターンだ

 

Aパターンでも心配はいらない。

 

まんじゅうを見せればぺろりと食べる、数分でいつもの超〜元気な久子さんが登場し、暗算と防空壕の話をして一人大笑いしたあと、どこも悪い所がないことを自慢し始める。という流れだ。

 

もう慣れているから、まんじゅうを出そうと思ったが、寝ていたようなので忘れないうちに聞いてみた。

 

『眠ってた時、なんか夢見てたの?』

 

『夢なんかしょっちゅう見るわよ、でも今日は覚えとらんわ』

 

『お父さんは夢に出てこないの?』

 

『あんな人出てこんわ、出てきたことないわよ、まったくもうひどい人よ』

 

いつ聞いても同じ答えだ。

 

『なんで夢に出てこないのかね』

 

『….。』

 

今日は無言だった。

 

『久子さんに美味しいおまんじゅう買ってきたよ。』


突然、顔色がかわった。表情がみるみるうちに変わっていく。かわいいものだ。

 

【ぺろり】という表現がぴったり合うくらい、本当にペロリと2つ食べた。

その後は、「あんたいくつになった?」のお決まりの口撃と、防空壕の話、得意の暗算を、一通り話をして、3回転ほどしたところで、壁にかかっている写真の話にうつる。

 

サービス付き高齢者向け住宅

 

いつも同じような繰り返しだが、最近、この1~2か月くらいのことだが、体の動きが加わった。ベッドに腰かけていて、いきなりスッと立ち上がる。歩くときも、運動会の行進のように両手を振りながら歩いたりする。

 

あきらかに、体が良くなっている。

 

毎週1度訪問してくれる看護師さんとも話したが、同じ意見だった。そして、もうひとつ変わってきたことがある。

 

『いつまでここに居ていいの?お金は大丈夫なの?』と聞いてくることが増えたのだ。

 

『ここにずっと居ていいんだよ、100歳になっても大丈夫だよ』

 

とてもうれしい顔をして喜んでいる。

 

久子さんはとても「あおぞら」が気に入っているようだ。

 

久子さんが「あおぞら」に馴染んでいる様子を見ると、3食美味しく食べられていることもあり、ぼくより長生きしてしまうことは十分考えられる。

 

家族にとっては、長生きリスクも考える必要はあるかもしれないが、施設のスタッフへの感謝の気持ちは変わるものではない。ぼくはあらためて、その日、あおぞらへの感謝の気持ちをしっかり心にきざんで、あおぞらを後にした。

 

そして、前職で、「あおぞら」を建設することを決めた日のことを思い出し、あの日からちょうど10年「あおぞら」が思い描いていた「サービス付き高齢者向け住宅」になっていることを確認した。

 

自分のことを自慢しようとしているのではなく、「サービス付き高齢者向け住宅」の在り方、そして運営方法を、認知症の初期の方々が楽しく暮らせるようなものにしてほしい。

 

そして自宅で暮らしている認知症高齢者が早い段階で「サービス付き高齢者向け住宅」に入居してほしい、ということを社会に伝えたい。

 

本人はもちろんのこと、家族みんなが幸せになるように。

2022.11.23