思い出のセーター

 

久子さんが手の指を自動的に動かして、そろばんの代わりに計算をする話の続きだ、

 

久子さんは40年ほど前までは、編み物教室の先生をしていた。

 

久子さんの手から生み出されるのは、美味しい料理や二けたの数字だけではない、色とりどりの手編みのセーターもあることを忘れてはならない。

 

久子さんに当時の事を聞いてみても、あまりはっきりしたことを覚えていないようだが、とにかくいろんな模様が入ったあざやかなというか、たくみな彩りのセーターを、ぼくはたくさん目にしていた。

 

だから、ぼくと弟は冬になると、いいとこのお坊ちゃまのお母さま方も驚くような、一目で手編みのセーターとわかる綺麗な服を着させられていた。そして冬になるとぼくたち兄弟は、まったく知らないおばさんから何度もこの言葉を聞いた。

 

『ぼくたち、いいセーター着てるね、だれが編んでくれたの?』

 

でもぼくは全然うれしくはなかった。

なぜなら、手編みのセーターはごわごわしていて、かっこ悪いと思っていた。

 

ぼくが着たかったのは、友達みんなが着ている、細い毛糸でできている模様が入っていない既製品のセーターだった。手編みのセーターと安い既製品の違いなんて知る由もない、純真な小学生と保育園に通う兄弟である。

 

迷子のセーター

 

小学校低学年の冬の日曜日だったと思う、ぼくは家の近くにある神社で遊んでいて、暑くなったので手編みのセーターを脱いで、狛犬にかけておいた。

 

家に帰ったころには、すっかり脱いだことを忘れていたので、夕方もう一度神社に行ってみたら、狛犬にかけたセーターは既になくなっていた。普通の家なら、手編みのセーターを失くそうものなら、大騒ぎで大目玉をくらい、小学生の子供ならその日は一日泣いていただろう。

 

だが我が家は、手編みのセーターは何枚もあるから、一枚くらい失くしても、誰も気がつかないのだ。

 

2~3週間たったころだろうか、近所に住むひとつ下の男の子が神社でひとり遊んでいた。その姿を見て不思議な感覚を覚えた、いまでもそのシーンと感情はよく覚えている。

その子は、自営業をしているごく普通の家庭の子、その子がとてもきれいな模様の手編み風のセーターを着ているのである。

 

初めてぼくは、手編みのセーターを着た子供がどれだけ目立つのか、ということを知った。しかもその模様に見覚えがある。子供ながらも、いろんなことを想像した。

 

久子さんが同じものを2枚作っていた。

 

よく似ているが、だれか違う人がまねをして作った。でも何度見ても模様が同じで、しかもサイズがその男の子の体に合っていないのだ。

 

ぼくは久子さんと同じで小学生のころは背が低かったが、その子は一つ下だが特別背が高かった。だからセーターから手が長くはみだし、おなかのあたりは下着がたくさん見えていた。

 

うん間違いない、ぼくが失くしたぼくのセーターだ!年下の子に声をかけた。

 

『たぶん、どっかでひろった』

 

ビンゴ!

 

ぼくはその子に優しく説明して、セーターを取り返すことに成功した。

 

年上の子だったら言えなかったかもしれないが、手編みのセーターは高いものだとわかっていたので、自然とそのような行動になったが、それ以降そのセーターを着ることはなかった。

 

そのときは気づかなかったが、今思うと、その子がかわいそうだった。

 

北陸のさむ〜い冬の日にセーターをぬいで帰ったのだから…。

2022.11.08