『がんばって生きていこう』

 

夕方7時ころ、久子さんから電話がきた。

 

『みんな元気かしら、みんなどうしとるかなぁ?と思って』

 

『みんな元気にしているよ、久子さんは元気?夕ご飯は食べた?』

 

『うん、食べた!ご飯美味しかったよ』

 

『あのね、電話したのはね、もう一人になってしもうたので、がんばって生きていこうと思ってね、それで電話したの』

 

最近の久子さんは、以前の混乱状態とちがって、冷静というか、自分が置かれている環境が見えているというか、そう思えることが増えてきた。

 

今いる施設に慣れてきて、看護師さんやヘルパーさん、食堂のスタッフにも慣れてきて、食事もとても美味しいと言うから、必然的に健康的な生活が送れるようになってきたのか、症状が少し改善されたように感じる。

 

だから、こんなに神妙に「一人になってしもうた」と表現されると、長男としては、遠くに追いやった感が突然心の中に湧き上がり、胸が苦しい。

 

わけのわかんないことを言ってくれるほうが、まだ精神的に楽だ。

 

『たまには遊びにきてね、美味しい物つくっておくから、こっち来て飲んでいってよ』

 

昔のことが思い出されるので、さらに胸が苦しくなった。

 

『うんわかったよ、明後日そちらに行く予定しているから、久子さんの得意な煮物でも作って待っててよ』

 

『うれしいわ』

 

久子さんの手料理

久子さんは料理が得意、とくに煮物は絶品だ。

 

ぼくが子供のころ、よく夕食にでてきていた。ぼくは煮物が好きではなかったのであまり食べなかったが、妻と息子は久子さんの煮物が大好きだ。

 

特に息子は、正月遊びに行くと、煮物の中の油揚げをたくさん食べていたので、久子さんは大喜びだった。

 

そして何と言っても、お正月は、久子さんが作るブリの照り焼きと茶わん蒸しは最高だった。

 

温泉旅館や料亭など、板前さんが作るブリの照り焼きを何度か食べたことがあるが、久子さんが作ってくれるお正月のブリの照り焼きのほうが旨い。

 

久子さんは旅館の娘だったから、きっとおばあちゃんが作るブリの照り焼きや茶わん蒸しを教わったのだろう。

 

石川県でとれた天然の寒ブリをさばいて、切り身をたくさん作って、照り焼きを大皿にいっぱいにするのだ。

 

あっ、よだれが…(笑)。

 

でもあの照り焼きをもう食べることはできないと思うと、また胸が痛む。

 

認知症になっていなければ、もっと久子さんの料理を食べられただろう、そして孫やひ孫との楽しい食事のひとときを、久子さんはもっと楽しめただろう。料理を作って人をもてなすことが大好きだった久子さん、認知症以外はどこも悪いところがない、とても元気なので、なおさら残念でならない。

 

美味しい手料理には、言葉はなくても、人の心を通わす大きな力がある。

 

家族、親戚、友人、これまでたくさんの人が、久子さんの手料理を食べに集まり、心を通わせた。そしてそこにはたくさんの笑顔や笑い声があった。

 

だから久子さんは、たくさんの人の料理を作ることが好きだった。

 

認知症を恨んでも仕方がないが、今更ながらに、認知症を治す薬の開発が待ち遠しい。

2022.10.25