『もったいない!』

『あ!なんで捨ててるの!?お菓子の空箱!!』

 

『だめよ、捨てないでよ!何してるの!ちゃんと、とっといてよ!』

 

『何かに使うの?』

 

『何かに使うって、あたりまえでしょ使うわよ、いつか』

 

『もったいない』

これは久子さんが元気で、まだ認知症の疑いが何もない時の話。これからの話は久子さんがボヤ騒ぎを起こし、やっと施設に引っ越しが完了したあと、だれも住人がいなくなったマンションの片付けをしていた時のこと。

 

部屋の押し入れ、キッチンの棚、寝室のタンスの上、本棚の上、あらゆるスペースというスペースには、有名店の菓子箱、茶わんやお皿が入っていた入れ物、金属の缶、いろんな種類の空箱が置かれていた。

 

『いつか使うわよ!』と言っていたあの箱や缶たちだ。

 

もちろん一度も使われていない。

 

いったいいくつあるのだろう、数えてみた。

 

合計:紙箱38個  /  缶5個  /  デパートの手提げ袋多数

 

昭和の戦前生まれ、おそらく物資が何もなく、その日生きることさえ大変な時代を経験した人たちにとっては、きれいな色した箱、長く使っても壊れそうもない紙箱、ましてや金属でできた入れ物、大きな手提げ袋、これらは、どんなに魅力的に見えたのだろう。

 

その気持ちはよくわかるし、物を大事にしていることは知っている。それでも、つかわない空箱をこれだけためてる。

 

なぜだ?なぜ?

 

人間は不思議な生き物だ、わかってかわからずか、不合理なことをしてしまう。

ぼくは片づけをしながら、もうひとつの不合理を見つけた。

 

これはおそらく結婚式の引き出物だろう。使ったことが無い小皿やお茶碗が、きれいな箱に入ったままたくさん出てきた。石川県は九谷焼の産地だ、九谷焼のきれいなお皿もある。

 

それらの食器はあざやかな緑色や黄色や赤色で彩られ、さぞかし料理を引き立ててくれただろう。早く使えばよかったのに・・・もったいない精神が強いのか、いつか大切な日にでも使うつもりだったのか、押し入れの奥の方にしまってあった。

 

使われない食器

一方、キッチンの棚には毎日使っているお皿やお茶碗、どんぶりが並んでいる。

 

ぼくは、そのよく使っていたのだろうと思われる、棚に並んだ食器の中で、2つの小皿を見て驚いた。

 

一つは角が小さく欠けている小皿、そしてもう一つは古びた小皿で隅っこに赤色と水色をした小さな模様がある。

 

それを目にした瞬間、ぼくは思わず声と涙が出そうになった。小学生低学年のころ、ぼくは好き嫌いが激しく、魚の煮つけや野菜の煮物が食べられなかった。この二つの小皿は、いつも魚の煮つけか野菜の煮物がのっていたのだ。

 

そう、この二つの小皿は我が家が石川県にいたころから始まり、神奈川県へと移り住んできた50年以上の長きにわたり、我が家の生活の中でともに生き続けてきた小皿なのだ。

 

二つのお皿は50年以上使い続けられ、一方で九谷焼のきれいなお皿は飾られることもなく押し入れの奥で眠り続けて、数十年一度も使われることがなかったのだ。

 

きれいなお皿を少しだけなでてみたが、ひんやりとした感触に胸がつまった。

 

子供のころの景色、偏食で叱られた思い出、おばあちゃんの姿、幼少期の思い出と、母親のもったいない精神の不合理さを思いながら、ぼくはしばらく立ちすくんだ。

 

我が家のひと時代の終わりを感じた瞬間だった。

2022.09.20