この記事の目次
久子さんのおしゃべり口撃
久子さんはたくさんの写真に囲まれて暮らしている。
結婚当時の写真や孫の写真、ひ孫の写真に父の葬儀で撮影した親戚一同の写真、ふるさと旅行の写真など、にぎやかに置いてある。
久子さんの部屋に入ると、ぼくはできるだけ写真の話をして、隙を作らないようにしている。
なぜなら5秒も沈黙があると、おしゃべり口撃がはじまるからだ。
『あんたいくつになった?』
この一言が始まるとお口が止まらなくなる。
『あんたいくつになった?』
『60歳』
『じゃあもう定年なの?』
『そうだよ、もう会社はやめたよ。』
『じゃあ旅行でも行ってくれば。』
『でもコロナだから旅行には行けないんだよ。』
『そうねー残念ね、かわいそうに。』
『ところであんたいくつになった?』
こんな感じでエンドレスに続く・・。
ぼくが元気な時は、3回転ほどまで我慢するが、疲れている時は1回でやめてもらう。
『ぼくはいくつ?久子さんはいくつになった?』
と聞けば、
『80歳は過ぎたと思うけど、いくつになったやろか』
これで、とりあえずストップができる。
父親の話で久子さんブロック
この口撃をかわすため、できるだけ写真の話、特に父親の話をするようにしている。
ぼくの父は70歳代に2度ガンの手術を受け、最後は肝臓に転移したので、治療を終了し、緩和ケアだけで家で看取ることにした。
若くても在宅診療の経験が豊富な医師に恵まれた。
父は先生を信頼し、住み慣れた自分の部屋で穏やかな人生の最期を迎えることができた。
81歳だった。男性の平均寿命をこえていた。
医師だけでなく、訪問看護、訪問介護の皆さん、家政婦の皆さんにとても手厚く看護介護をして頂き、父は最高の終末期を過ごした。
医師と看護師の連携はスムーズで、薬剤師の父は本当に皆さんを信頼していたので、毎日のように
『わしは幸せだー幸せだー、ナンマンダブ、ナンマンダブ』と念仏を唱えていた。
最高の終末期
認知症もなく最後まで意識がはっきりしていて、僕が描く最高の終末期の姿だった。
幼少期は、厳しい父親のイメージを持っていたので、いつも母親に甘えたい気持ちが大きく、できれば父には家にいて欲しくなかった。
父はガンが見つかると、周囲に感謝の気持ちを訴えるようになった。
多くの医療従事者からよくしてもらった。
ぼくにはそんな父がとても可愛く見えた。
時間が許す限り父の喜ぶことをしてあげたいと思うようになった。
父とは逆に久子さんは看病や不安からストレスがたまり、認知症の症状をしめすようになった。
自宅で最期を迎えられる幸せは、見守る家族の健康を犠牲の上とは言いたくないが、若くない配偶者にとって、相当なストレスがかかったことだろう。
と心の中で思う。だが、ぼくも人間だ。
久子さんのおしゃべり口撃にあうと、顔の表情はゆがむ。
声のトーンも下がる。
最後は『帰る』と言って部屋を出ることになる。
更に久子さんは、父の写真を見ながら、間違った記憶をもとに、毎回おかしな作り話を披露してくれる。
父が聞いたら何と言うだろう?
『お父さんは色白で肺が弱く、最後は結核で亡くなったわよ。』
これはおそらく、映画かドラマで見た色男の病室のシーンが父と重なっているのだろう。
『優しい旦那さんですねって看護師さんは言っていたけど、ベッドに寝ていながら私の顔を何度もたたいたのよ!顔がこ〜んなに大きく腫れたわよ!』
寝返りさえ一人でできない父に、顔をたたくことはできない。
看護師さんやヘルパーさん皆さんで、父のことを褒めるので久子さんは焼きもちを焼いているのだろう。
『若い女性にみついでいたわよ』
昔のことはわからないが、父親を信じよう。
久子さんのお姉さんの話や、婚約時代の写真に添えられたコメントを見ると、久子さんは当時、田舎ではめずらしい、大学出で京都生まれの色男に一目ぼれした。
そして、結婚までした。
どうやら久子さんは面食いだ。嫉妬深い女性かもしれない。
息子としては、見たくない、聞きたくない事が多くなってきたが、これまで見えなかった久子さんの素のキャラクターがおもしろい。
認知症の特徴??
ぼくが知っている母、久子さんと、85歳になった高齢の久子さんでは全くの別人なのである。
という表現がぴったり当てはまるかのような今の久子さんの言動に、長男は現実を受け入れようと必死にもがいている。
久子さんは、認知症以外の病気は無く、超元気なので、この状況は、この先もなが〜く続くだろう。
でもやっぱり
『おやじ〜助けてえぇ〜。』
2022.05.03