”あおぞら”に込めた想い

いよいよ、久子さんが”あおぞら”を離れるときが近づいてきた。

 

ぼくは、高齢者が少しでも豊かな生活をおくってもらえる、その様な事が期待できる住まい環境作りを、ライフワークとしている。

 

”あおぞら”はその中心的存在だ。

 

“あおぞら”は、日本の介護保険制度の中では、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)という分類に入る。

 

理想の高齢者施設

 

15年ほど前になるが、安い費用で入居できる施設である特養(特別養護老人ホーム)が、すでに不足していて、都市部を中心に、入るためには1年以上待たなければないといった状況が続いていた。

 

高齢化が進む中、この問題の解決策として、国はサ高住を受け皿とする政策を打ち出した。

 

さらに自治体は、民間企業がサ高住の建設を進めやすい様、多額の建設補助金政策を打ち出した。

 

ぼくはそのころ、介護事業を営む会社の社長を任されたばかりだったが、国の未来を考えたとき、この政策を成功させる重要性を感じ取っていた。

 

そして、社長に就任して1か月経つか経たない頃、サ高住建設の条件がすべて整った、優良物件が手元に届いた。

 

まさに「渡りに船」だった。

 

できるだけ安い費用で入居ができて、そして介護度が上がっても生活ができる、そのような住まいの環境を提供したい!そのためには、新しく建てたのでは予算オーバーになってしまう。

 

どうしても、優良な中古物件を見つける必要があった。

 

この信念で、不動産業者はもちろんのこと、建設業者、設備を提供してくれる業者、調理をしてくれる業者、そして近隣の医療機関と役所へと、行脚する毎日が続いた。

 

ある日の朝、早めに出勤すると、県議会議員を経験された地元の名士と呼ぶにふさわしい方が所有する、企業の寮に使用していた3階建ての建物が、売りに出たという情報が入ってきた。

 

130室はあるという音響メーカーの社員寮だった。

 

高齢者施設に改修しても、100室ほどは確保できるという。

 

高齢者施設は、部屋数が少ないと、退去者の関係で経営が安定しない、100室は初めてのチャレンジには荷が重いが、経営としては理想的な部屋数だった。

 

直ぐに物件を確認したい!

 

仲介業者さん、そして物件のオーナーさんに連絡をとり、見学を急いだ。

 

とても立派で大きな鉄筋コンクリート造の、内部も重厚に作られている建物だ。

 

なんといっても内廊下だから、暑い夏、寒さの厳しい冬、食事や入浴などで建物内を移動するときでも快適に過ごせる。

 

文句のつけようがない建物、そのため、競争相手がいた。

 

やはり高齢者用の施設を考えているようだった。

 

なんとしてもこの建物で、高齢者を支える住まいの成功モデルを作り、全国に広げたい!

 

この思いがオーナーに届いたのかもしれない、見た目は好好爺、話せば誠実というオーラを発している、ぼくはお会いしたその日からこの方のファンになり、そしてオーナーはぼくの会社を選んでくれた。

 

なにもかも初めての事業経験、失敗したらどうしよう、約100人という高齢者にご迷惑をかけたらどうしよう、こちらの落ち度で入居者さんがお亡くなりになったらどうしよう。

 

様々な不安と対峙する日々が続いたが、ぼくの信念と使命感がやや上回り、社内決済が通り、10億円近い投資がスタートした。

 

高齢者の毎日の生活を支えなければいけない、ということは、様々な設備を整え、病気に対応できる環境を作らなければならない、しかも安い費用で。

 

家賃、食費、光熱費、サービス費、介護自己負担など、様々な費用を合わせても具体的には厚生年金の範囲内で暮らせる条件を目標とした。

 

しかし、安かろう悪かろうでは、いったん入居してしまった高齢者は、泣き寝入りするしかない、あくまでも目標は

 

豊かな生活をおくってもらいたい!

 

だった。

 

特に、食事には気を使った。

 

一番の健康の元は食事であり、高齢者の唯一の楽しみは食事だと言っても過言ではないだろう。

 

川越市でウナギ料理が評判の、和食屋さんが手を挙げてくれた。

 

志を貫けば、賛同してくれる人がいる、信念は大事だ!と思った瞬間だった。

 

思い通り、食事については、入居者さんに大変喜ばれて、ほとんどの方が完食されていた。

 

建設会社さんも、地域での評判がよく、他の企業より安く、そしてとても誠意ある工事をしてくれた。

 

これだけのプロジェクトを、1年後に開設するというスピード感で、大きな問題なく進めてくれた社員には、心から感謝している。

 

高齢者の介護をきちんとできればそれでいい、というわけにはいかない。

 

熱を出した、転倒した、持病が悪化した、認知機能の低下による症状がひどくなった、など多くの医療的問題に対応できなければ、安心してくらせることはできない。

 

まず、訪問看護事業所を建物内において、ケアマネージャーとヘルパーとの連携がはかりやすくする事を考え、訪問薬剤師が来たとき、看護師やケアマネージャーとの情報交換ができるような、社内ネットワークを強化した。

 

訪問医師からは、薬の服用後の状態や日々の様子がとても分かりやすいので、診療しやすいと大変喜ばれた。

 

ぼくが理想とする、高齢者の住まいを、ほぼ網羅しているサ高住”あおぞら”は、2013年3月28日オープンした。

 

ぼくは介護事業の社長を退任して、もう9年になるが、“あおぞら”は継続的に入居率が90%を超えている。

 

スタッフの努力に心より感謝を伝える。

 

ぼくが理想としてきた、このようなサ高住”あおぞら”だが、久子さんの認知機能、そして身体機能ともに、衰え方が進んできた今、離れる日を急がなければならなくなった。

 

そして、同じ狭山市内にある特養から入居の許可を頂き、7月8日、久子さんは新しい住まいに引っ越しをすることが決まった。

自分に問う

 

ほっとした半面、“あおぞら”での出来事を振り返ると、寂しさとともに、自分の理想とする高齢者の住まいについて、甘い考えだったとの喪失感に襲われた。

 

施設の経営者は、常に、2つの質問の答えを準備しておかなければならない。

 

1つ目は

『自分の親を自分が経営する施設に入れたいと思うか』

 

2つ目は

『そして最期まで安心してあずけられるか』

 

社長に就任したとき、この2つの問いを常に自分に問い続けてきた。

 

そして、満を持してあおぞらに久子さんを迎えた。あれから4年半の時が流れた。

 

今、久子さんの目は、

 

「あんたはいつも詰めが甘いんだよ』

 

と言っている・・・・・・。


母親が身をもって示そうとしている理想と現実のギャップを、僕はこれからどのように埋めていけばよいのだろうか。

 

決して諦めずに、これからも久子さんから学んでいきたいと思う。

2025.07.10

カテゴリー:ぼくの久子さん