ぼくのプライド

 

ぼくの久子さんを書き出してから4年が過ぎ、第100話の内容も見えてきた。

 

初めの頃は、久子さんとのバトルをできるだけ忠実に書いていたが、最近では、久子さん自身が発している言葉を書くことができなくなり、ぼくの想像が多くなってきた。

 

プライドが高く、気性は強め、でもどこかお茶目なキャラは、生まれつきのものだろうが、認知機能の低下により、キャラが強化されて、周りの人を混乱させてきた。

 

あおぞらに入居した頃のマシンガントークこそ、鳴りを潜めたが、頻度こそ少なくても、醸し出すパワーは衰えていないように感じる。

 

ただ、会話そのものは減り、まるで修行中の尼さんのように、黙って座っていることが多くなった。

 

その姿は、長男にとっては不気味でしかない、怪しいオーラを発している。

 

そんな久子さんが満足する、終の住処となる、施設を、本当に見つけることはできるだろうか。

 

久子さんの長男は、無料介護相談をライフワークにしている。

 

だから、どこでもよければ、ぼくにとってはそれほど難しい話では無い。

 

残念ながら、ぼくの中の自尊心や矜持といったものが、それを許してくれない。

 

そして、不気味な尼僧の姿で、怒りの声を発する久子さんの姿も目に浮かぶ。

 

よし、気合いを入れ直して、善処していこう!

 

これまで寄り添ってきた、そして見送った多くの高齢者のことを思い出し、久子さんの状態を考慮して、最善の解を見つけたい。

 

ただし、あおぞらと違って、もう僕の人脈を使うことはできない。

 

あおぞらはまさしくホームグランドだった。

 

これからはアウェーでの試練が待っているかもしれない。

 

さて、まずはケアマネさんからいただいた、特養の資料、そしてホームページの情報を事前に確認して、駅から近い施設から見学することにした。

 

オープンして間もない特養を、早めに見学できるよう、うまく予約が取れた。

 

その日は雲ひとつない春の陽気、ゆっくり歩いていると、とても気持ちがいい、4月上旬の平日だった。

 

幹線道路沿いに一本の古い桜の木があり、春の風を受け、たくさんの花びらを舞い散らせていた。

 

近くには歴史ある神社と、薄汚れた史跡を説明する看板があって、気分の高揚から、初めて訪れる地のことを知りたくなった。

 

歩いていた幹線道路は鎌倉街道だった。

 

鎌倉幕府ができた頃から、多くの大名や戦国武将がこの街道を往来して、栄枯盛衰を繰り返してきたことが書かれていた。

 

源頼朝、新田義貞、楠木正成、足利尊氏など、興味深い名将が活躍していた、7〜8百年ほど前のことだ。

 

ぼくはすっかり旅行に来ている気分になっていた。

 

急に強い風が吹いて、桜吹雪があたりを包んだ。

 

『あっ!忘れてた!』

 

桜吹雪の中に久子さんの怪しい顔が浮かび、一挙に戦国時代から現代に戻された。

 

特別養護老人ホーム、入居待ちの多くの高齢者がいると言われている、いわゆる特養へのアプローチの第一歩を踏み出そうとしているのだ。

 

旅行気分で、浮かれている場合ではない。

特別養護老人ホーム

 

3階建ての建物が見えてきた。

 

広い敷地を贅沢に使った、新しい施設で、見た目は高級有料老人ホームと変わらないようだ。

 

予約していたので、スタッフも慣れた対応で、綺麗な庭に面した相談室に案内してもらった。

 

これまで仕事で、何件もの高級な有料老人ホームを訪問したことがあるが、初めて訪れた特別養護老人ホームは、中の造りも高級有料老人ホームと変わらないように感じた。

 

いくつかの書類の説明を受け、入居希望の申請を済ませた。

 

どうやら、特養という施設は、審査が厳しく、申し込みから入居までたくさんの人が時間をかけて、審査しているようだ。

 

しかも、その判定会議が月に一度しかないため、さらに時間がかかる。

 

要介護度3以上が最低条件で、医療依存度、家族との関係、収入、などなど審査され、支払うお金の上限が4段階に分けられているのだから、厳正な審査が必要だ。

 

今の久子さんに時間の余裕はない。

 

設備や建物が気に入ったから入居を希望するというよりも、長く待たされるより、早く特養に入れる方が、いまの久子さんにとって、安全安心という判断で、説明を受けて同時に申し込みを済ませた。

 

おそらく、これから何件か訪問して、問題がなければ、たぶん複数の施設を申し込むことになるだろう。

 

特養での暮らしが現実味をおびてきた。

 

あおぞらから離れることを思うと、多くのスタッフの顔が浮かび、手がかかる他人をここまで気遣って、よくしてくれたことに、胸が熱くなった。

 

仕事とはいえ、介護とは、本当に尊い行為だ。

 

一人では生活できない高齢者を支えている、医療、介護に携わっている人たち全員に、心から感謝したい。

2025.05.12

カテゴリー:ぼくの久子さん