ずっとそのままで
芸術家、久子さん
久子さんの部屋の壁には家族の写真だけでなく、久子さんがデイサービスで作った作品もいくつか飾られている。
その中で、ひときわ存在感を主張している作品がある。
長男が言うのもおかしいかもしれないが、驚くほど上手で、たんに認知機能の低下とは無縁と言う表現では納まりきらない、これは光り輝くアートだ!とでも言いたい!
それは久子さんの習字。
部屋を訪れるたびに思っていたことだが、黒く太い力強い線と繊細で迷いのないきれいなカーブを描く線が織りなす作品は、増えていくにつれて上手くなっているように感じられ、久子さんの生きるエネルギーが作品からほとばしるように壁をにぎわしている。
『今でも習字はすごく上手だねー、小さなころから上手だったの?』
『これくらいならみんな同じように書いていたよ、自分だけ上手だとか思ったことない』
今日はとても謙虚な久子さんだ。
昭和の初期に生まれた人は筆と墨を使って文字を書く習慣が、今の若い人よりずっと多かったことは言うまでもないことだろうが、それよりも久子さんのセンスというか才能を認めてあげたい。
久子さんは30代~40代にかけて編物教室の先生をしていたから、手先の器用さは持っていただろう、それにしても久子さんの作品からは、身体的衰えは全く感じられない。
みかんの想い出
立春をすぎて2週間以上たっても寒波がいすわり、日本海側の雪模様とは対照的な青く明るい空を見せている関東地方だが、ここ数日北風が体感温度を下げている。
久子さん風邪ひいてないといいなあ、と思いながら果物を買っていくことにした。
『みかん買ってきたから食べて、ビタミンCがとれるよ』
『食べたい!うれしいな』
最近少なくなった笑顔をみることができた。
器用に皮をむいて、表面に残っている白い部分も丁寧に取り除いている手先の動きは昔と変わっていない。
『あら、とっても美味しいおみかんだこと、今朝早くにスーパーに行ってならんで買ってきたんだから、あんたも食べなさい』
美味しいみかんに満足しているせいか、自分が苦労して手に入れたことになっている。
あおぞらに入居したころと違って、言葉が少なくなってしまった母の口から出てくる言葉は、今ではなんでも有難くそして暖かく感じられる。
ふたりでみかんを食べていると、小学生の頃、町内の子供会のイベントで、みかん早食い競争1位になったことを思い出した。
クリスマスイブの夜、町内の子供が公民館に集まってゲームをやったり、当時のアイドルの歌や踊りを披露したりのイベントが毎年行われていた。
ぼくの中では、みかん早食い競争はメインイベントだった。
当時お世話になった町内会の役員の方々、そして多くの親御さんたちは、いまどうしているだろう。
特に思い出に残る人たちは皆さん90歳を超えている、どんな住まいで暮らしをしているのだろう、医療や介護が適切に受けられているだろうか。
お祭りになると久子さんは婦人会でたくさんの料理を作っていた。
昭和のなつかしい場面が思い起こされ、ノスタルジーにふけるなんて言葉はあまり見かけなくなったが、最近久子さんを見ていると、必ず久子さんの若い頃の姿を思い出してしまい、懐かしさよりも、寂しい、そして切ない気持ちが上回ってしまう。
習字のようにまだまだイキイキとした久子さんでいてほしい。
買ってきたみかんは袋の中に小粒のみかんが8個入っていたが、久子さんは4つ目の皮をむいていた。
どうやら胃袋はとてつもなく、元気なようだ。
2025.03.03