不安と希望のあいだで
いつもの冗談が聞けなくなった日
歳をとるということは月日の流れが速いものだ!
毎年2月、この速さを嫌と言うほど味わっている。
体は元気だった久子さんの、認知症による異常な行動が目に付くようになり、マンションの部屋でボヤを出したことから、やむを得ずあおぞらに入居をしてもらった。
というよりも強制的に入居させたと言うほうが正しい。
衝撃的な出来事が鮮明な記憶として残っているため、あれから丸4年はあまりにも早すぎる!と感じてしまう。
アインシュタインが相対性理論を発表し100年以上が経ち、20世紀から21世紀にかけてその理論の正しいことが証明されていく中、時間のすぎる速度は一定ではないとか、ブラックホールでは時間がなくなるとか、わけのわからない事実を、とうてい理解できないし信じることができなかった。
しかし4年前のことを昨日のことのように思い出すことができ、時間がすぎる速さが異常だと、今は実感として納得できるのだ!
そして久子さんの変わりようもとても速い、4年以上経っているのではないかと感じるほど早い。
『久子さーん、お元気ですか?何か困ったことないですか?体のどこか痛い所はないですか?』
『何もない、、、』
『・・・』
『え、それだけ? 何か話してよ』
以前なら
『あらー珍しい人が来たこと、何年振ぶりかしら、さ、入って入って、うれしいわ』
と満面の笑顔でぼくを迎えてくれていた。
そして
『ところであんたいくつになったの?』
と何度も何度も聞いてきた。
でも最近は訪問したぼくの顔を見ても、無関心のように表情は変わらず、そして言葉は少ない。
母の老いが着々と進み、さみしく厳しい現実を突きつけられたと落ち込むとき、なぜか故郷の冬を思い出してしまう。
重く垂れこんだ暗い雲と落ちてくるみぞれに、手や足だけでなく気持ちまで冷たく感じながら、子供に与えられた仕事として朝の玄関の雪かきをしている姿が目に浮かぶ。
北陸の冬、お日様はあまり顔を見せてくれない。
今になって思えば、春の来ない冬はないのだから、春よ来い早く来い!と前向きな気持ちが大事だよと伝えてあげたくなるが、小学生のぼくにはそのような文学的な才能も余裕もなかった。
仕事の都合で子供と一緒にいる時間が少ない母親だった。
切ないほどに母親の愛情に飢えていた小学校低学年頃の冬の朝と、今の久子さんの状態が重なったとき、プライドが高い久子さんは表には出さないが、立場の逆転現象に胸が締めつけられる思いがする。
1年以上前の頃だったか、久子さんは口癖のように
『もういつ死んでもいいわ』
と言っていた。
部屋のドアを開けたぼくの顔を見た瞬間、1週間ぶりに会った瞬間の第一声でこの言葉は、慣れるまで時間がかかった。
最近その言葉も出てこなくなった。
久子さんから何か言葉を引き出そうと、いろんなアプローチをしてみた。
ひ孫の動画を見せると、半年前までは喜んで笑顔で動画を見ながら、これは誰の子かと何度も聞いてきたが、今は無言で見ながら動画が終了と同時にスマホを返してくる。
『お父さんが死んでもう10年経つね、早いね』
父の写真を見せながら闘病当時の様子を話してみても、うなずいているだけ。
栄養が足りていないのかもしれない。
下あごの入れ歯を失くしてから、食事を柔らかく工夫してもらい食べやすくなっているが、おそらく噛む力がだんだん弱くなっている、そして飲み込む力も弱くなってきているのだろう。
誤嚥と誤嚥性肺炎の心配が心をよぎる。
あおぞらというサービス付き高齢者向け住宅で生活しているから、家族はこの程度の心配ですむが、今の久子さんの状態を見て、終末期の高齢者を在宅で家族が看るということを想像すると、とても現代に生きる自分には無理だと断言できてしまう。
一喜一憂しても、いいじゃない
北陸地方に豪雪の予報が出ている2月の日曜日の午後、久子さんに会いに出かけた。
おそるおそる部屋のチャイムを鳴らしドアを開けると、テレビを見ている久子さんがいた。
『あらーよしひろさん、来てくれたの、嬉しいわ』
この言葉にどれだけ救われただろう、ぼくの名前なんて忘れていると思っていた、涙まではでなかったが、飛び上がりたい気分で久子さんの手をさすった。
『久子さん、すごいね、とても元気そうでうれしい、とってもうれしいよ、顔色も爪の色もきれいで体調とてもよさそうだね、よかったよかった』
『そうでしょ、ちゃんと食事もおいしく食べてるから大丈夫です』
認知機能の衰えが進み、いくら元気な久子さんでも老いは避けられない。
体調がすぐれないときもあり、よいときもあり、まったく違う久子さんになってしまうが、少しずつ現状を受け入れていくしかない。
とにかくこのあおぞらで最期まで暮らしてほしい。
2025.02.15