これからの不安

 

久子さんの状況

 

最近の久子さんは、残念なことに笑顔がまったくなくなった。

 

これまでは認知機能は衰えていても明るく元気だったし、笑顔や笑いがあった。

 

この数か月、よく転倒して頭にこぶをつくってヘルパーさんを心配させている、そしてトイレの使い方も不安なので、施設長にお願いして自費で見守りの回数を増やしてもらった。

 

認知症という病は簡単には説明しづらく、医学的にも軽度から重度までいくつかの段階があり、最近の久子さんを見ていると明らかに次の段階に進んでいる。

 

これまで『ぼくの久子さん』では、母の明るいおちゃめなところを書いてきたが、今はそんな悠長なことはいってられない。

 

発熱も何日間かあったので、肺炎の心配もあり、日ごろお世話になっている医療機関に精密検査を依頼し、予約を入れて無料の送迎バスで迎えに来てもらえることになった。

 

ただ当日久子さんが行かない!と言い出すことが十分考えられるため、医療機関にはそのことを伝えて、当日はぼくが付き添うことにした。

 

送迎バスが到着する15分ほど前から久子さんに、今日は健康診断に行こうねと話しながらお気に入りの洋服に着替えさせて、ゆっくり手をつなぎ3階から玄関そしてバスの中へと誘導したところ、思いのほかスムーズに送迎バスに乗せることができた。

 

最初のハードルが意外に低かったことに驚いたが、久子さんは認知症を発症してからは、たまに健康診断や尿検査のことを気にしていたことを思い出し、なんとなく納得した。

 

『こんなすごい車に乗ってどこ行くの?』

 

と車中で久子さんは何度も聞いてきた。

 

『健康診断だよ、毎年必ず受けている健康診断だから心配しないで大丈夫だよ』

 

この会話が何度も繰り返された。

 

狭山市郊外の野菜畑が続く道を30分ほど送迎バスが進む中、久子さんはその景色を見ながらさかんに同じこと呟いていた。

 

ぼくは次のハードルを予想していると、看護師さんや検査技師の人たちに迷惑をかけることの不安がよぎり、目的地まではとても長く感じた。

 

最大の問題は、体の内部をきれいに映し出す優れた検査機器に対して、認知機能の低下した患者さんはうまく適応できるか、ということ。

 

肺のレントゲンや脳のMRIなど、操作する人の指示を理解して対応し、体を動かさずじっとしていられるとは思えない、送迎バスの中でいろんなケースを想像しながら対応を考えていた。

 

本来、母親の検査となれば重い病気にかかっていないだろうか、という不安の中で検査の長い時間を待つことになるのだろうが、ぼくの場合は久子さんが問題なく検査を受けられるだろうかという不安しかなかった。

 

長い待ち時間にも耐え採血にも耐え、いよいよ医師による診断結果の報告を受けるまでにこぎつけた。

 

インフルエンザが流行り院内は多数の患者さんで座るスペースがないくらい混んでいて、久子さんも落ち着かない様子の中、なんとか耐えてくれたのが奇跡のように思う。

 

呼ばれて診察室に入り、医師による説明が始まったが、開口一番、

 

『できるだけのことはしましたが、その範囲でご説明します』

 

との前置きがあった。

 

つまり、体が動いていて鮮明な画像がとれていないため、わかる範囲のことだけお話しますとのこと。

想像した通りのことだったが、ぼくにとっては、医療機関まで来れたこと、そして混んでいる中で長時間にわたる検査診察に耐えてくれたことで、十分満足だった。

 

結論としては心配していた肺炎は問題ない、それ以外のことははっきりわからないとのことだったが、それだけでも大きな安心を得ることができた。

 

認知症がすすんでくると、感染症や生活習慣病がすすんで発症する様々な重い病気も、治療する前の検査段階でどのような事が生じるか、今回初めて知ることができた。

 

体が弱っていても、車いすの生活を強いられていても、意思の疎通ができるか否かで病気の検査治療は大きく影響することを知ることができた。

 

これまでは主に生活面で起こる様々なトラブルに対応しながら、久子さんを通じて認知症を学んできたが、次の段階に進んでいることから、必要性が増えてくる医療処置についての対応を考えていかなければならないだろう。

 

ホッとするありがたみ

 

送迎バスは夕方6時を過ぎた頃あおぞらに到着したので、食堂に向かうとヘルパーさんが笑顔で食事を運んでくれた。

 

『久子さーん、お疲れ様でした、今日は頑張りましたね~お食事の準備できてますよ、どうぞ召し上がれ』

 

久子さんも少し微笑みながら、

 

『いつもありがとうね』

 

と小さな声だったが言ってくれた。

 

ヘルパーさんと久子さんの短いやりとりだったが、ぼくは聞いていてとても癒され、今日の疲れや不安はほとんどなくなり、あらためて施設でお世話になっている有難さを感じていた。

 

想像されるこれからの問題はその時に考えながら行動するしかない、でもあおぞらの施設長をはじめスタッフの皆さんが久子さんを見てくれているので、この恩に報いるためにもぼく自身がきちんと対応できるようにしたい。

 

久子さんの長男はあらためて誓うのであった。

2025.01.23

カテゴリー:ぼくの久子さん