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久子さんが施設に入って
久子さんがあおぞらに入居してから、2年半近くになる。
今は元気といっても、入居前の写真を見ると、白髪の量や肌の質感が全然違う。
ようやく認知症の症状はおだやかになってきたと、ぼくは喜んでいるが、やはり体力や気力という面では、反面衰えてきていることを思うと胸が苦しくなる。
石川啄木の、たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず、の歌を思い出し、小さい頃の母親の姿が投影されてくる。
人間だれしも終末期の衰え、そして死については避けられないことと、わかってはいても現実は厳しく切なくなる。
今年米寿を迎える久子さんも、今後どんなことが起るか予想することは難しい。でも、今のところ健康面では認知症以外で気になるところはない。きっと、笑顔で米寿を迎えられることだろう。
入居して2年半、これまでの久子さんを振り返ると、健康面を安心して頼れるあおぞらの人たちには、本当に感謝の気持ちしかない。
そして施設に入ると、なにより栄養バランスがしっかりとれた食事を3食食べることができるという、健康上のメリットが大きい。
施設のメリットについて
80歳くらいの一人暮らし高齢者の食生活を考えてみてほしい。
例えば、
①スーパーで買ってきたお惣菜やお弁当を何度かにわけて食べる
②1日2食か1食
③いつも同じものばかり食べている
このようなことが起こっていたら、栄養バランスが整っているとは決していえない。
その点施設は、栄養士が食事のメニューを考えて、3食を決まった時間で食べられるようになっている。
このことは、あたり前の事のようだが、気力体力が衰えた高齢者にとって、どれだけ有難いことか、ぼくは多くの人を見てきて感じている。
食事のバランスが整うことで、車いす生活から自分の足で歩けるようになった人もいた。その方を後ろから見ていると、しっかりと歩いているように感じて驚いた。
「おいしい」「おいしい」と笑顔で食事をして施設の方へ感謝している人もいた。
たんぱく質の量の問題のように思うが、それが本質ではなく、あくまでも「食事のバランス」これが整うことによって、足腰がしっかりして、気力がわいてくるのではないだろうか。
そして、料理を作ってもらい食べる喜びも合わさっているように感じる。
おそらく認知症の進み具合も変わるだろう。
あおぞらに入居している人たちが食堂で食べている様子を何度も見ているが、いつ行っても皆さん静かにもくもくと食べている。
このご時世、なんでも値上がりしており、美味しい食材を使えるかどうか、これは非常に難しい課題だ。
当然、特別食の日でない限り、食事がおいしいという感動は少ないだろう。
もっと肉を食べたい、新鮮な魚のお寿司が食べたい、利用者さんの食事に関する要望は尽きないだろう。
食に関する個人の好みは幅広く、高級な施設といえども、施設利用料が高い料金になればなるほど常に高い要望があり、毎日3食の食事の満足度は常に問題を抱えている。
施設の食事に関する利用者が納得できるかどうかは、非常に困難な課題だが、自分では料理をつくることができなくなった、つまり健康の基本である食事を、3食バランスよく食べることができることに感謝できるかどうかにかかってくる。
「見て見て、こんなに爪の色がきれいなの、とてもうれしいわ!」
「よかったね、食事が合っているのかもしれないね」
「そうなのよ、食事がおいしいからちゃんときれいにたべるのよ」
今のところ久子さんは、あおぞらの食事について満足しているようだ。
旅館の娘で生まれた久子さんは、子供のころ母親から料理の準備のお手伝いをさせられていたので、あおぞらの食事のことを心配していたが、今のところ大丈夫。
今年米寿を迎える久子さんが100歳を迎えるとき、ぼくは75歳、ぼくの認知機能はどこまでもつのか?
その頃、ぼくの久子さんのコラムはいかに?
「あんたいくつになったの」
相変わらずの久子さんの質問に
「75歳だよ」
満面の笑みで答えるぼくに
「食べないとボケるからね!」
しかめっ面に嫌味を言われる?
そんな会話が見えてきた。
2024.06.14