はじめに

高齢者の中でも、本当に終末期を迎えて、体が不自由で行動範囲が狭くなった方々に対する、安心安全な暮らしという意味で、デイサービスについて、久子さんの例を使って綴ってみることにしよう。

 

ある日のこと

 

「あっ、しまった!今日は久子さんデイサービスの日だった、行っても大丈夫かな」

 

初夏のそよ風があまりにも気持ちよかったので、急に思い立って久子さんを訪ねることにした。

 

爽やかな風を受けながら狭山の街を歩いていた。

 

狭山市の街並みは、たくさんの思い出が詰まっていて、ぼくの人生の中でも最も強い印象が残る風景だ。

 

一言で言えば縁の深い場所。

 

心地よい季節感を味わいノスタルジーの思いに近い感情で歩いている途中、突然デイサービスのことを思い出し不安に襲われた。

 

あおぞらは同じ建物の中にデイサービスの場所があるので、お邪魔するのはそんなに苦ではないが、スタッフが忙しいことを考えると長くは居られないだろう。

 

そーっとデイサービスの部屋をのぞいてみる。

 

20人以上はいるだろうか、高齢者がじっと静かに椅子に座っていて、周りをスタッフが忙しそうに動いている。

 

久子さんも静かに座っていたが、ぼくの顔を見つけた瞬間、周りの人に「うちの息子です」と声をかけていた。

周りで久子さんに反応する人はいなかったので、一人ドヤ顔でテンションが高い久子さんが浮いて見えた。

 

スタッフが気を利かせて、空いている机に久子さんを移動させて、ぼくたち二人だけにしてくれた。

 

いつもと同じ会話が一通り終わったあと、久子さんがつぶやいた。

 

 

「まだここにいた方がいいの?」

 

 

今日の久子さんの様子を見ていると、気持ちが落ち着かない、自分の部屋に帰りたい、そんな思いが見え隠れしていた。

 

 

「久子さんの健康を保つために、スタッフが工夫を凝らして、いろんなイベントを用意してくれているので、参加した方がいいよ」

 

施設のサービス

デイサービスは高齢者にとっては、苦痛なところはあるかもしれない、しかし健康維持、認知症の進行を遅らせるという意味では、大変有り難いサービスだ。

 

デイサービスに通わなければ、終末期の高齢者は、

 

・自分の部屋でじっとしている

・昼間も寝ている

・夜中眠れなくなり徘徊する

 

このようなリスクが高くなる。

 

本人の感情は抜きにして、結果的に高齢者を守る手段にも繋がるため、できる限り、通いたいと思わせるような楽しいイベントを用意してほしいと家族は思っても、毎日のことなので、実際には限界がある。

 

それでも、お正月や敬老の日、クリスマスのイベントや特別食、桜や紅葉の季節の外出などなど、四季の移ろいをしっかり堪能できるように工夫を凝らしてくれている。

 

 

ぼくは、施設に入ってから、みるみるお元気になられる高齢者を何人も見てきた。

 

 

それは3食の食事のバランスが取れるだけでなく、このようなイベントに参加することが大きく影響していることは間違いないだろう。

 

プライドが高い久子さんのことだから、こんな幼稚園でするようなことをなんでしないといけないんだ!参加したくない!と内心思っているかもしれない。(実際はわからないが息子の見解は)

 

 

でも今の久子さんの健康の事を考えると、デイサービスはとにかく有り難い!

 

 

その一言に尽きるが、いつかぼくと久子さんが一緒にデイサービスに通ってある日が来ると思うと、

 

偉そうな事を言っているこんなぼくも、おそらく「行きたくない!」と言うのだろうか。

 

いや、これからもどんどん進化をし続けている日本のデイサービスに期待を込めてみると、もしかしたら

 

「すごーく喜んで」通うかもしれない!

2024.05.29