大事件が起こった日!

 

我が家に大事件が起きた!

 

ぼくが小学校4年、弟が小学校1年の5月ころ、朝起きたら久子さんが、顔の一部を青く腫らしてタオルを顔に当てて泣いている。その時の部屋の様子や空気感は今でもよく覚えていて、思い出すだけで胸が苦しくなる。

 

その日は悲しい気持ちを持ったまま弟と学校に行った。

 

そしてその日からしばらく久子さんは実家に帰ってしまった。どのくらいの期間だったかは、覚えていないが、1週間ではない、もっと長かったような気がする。

 

弟と二人、毎日、強い寂しい気持ちに襲われていた。

何があったか知らないし、大人になってもその時のことは、どうしても聞けなかった。

 

久子さんが認知症の症状を見せるようになって、たびたびお父さんに顔を殴られた、思いっきり殴られた、という話をしていたので、おそらく50年前の辛い思い出が、よみがえったのだろう。

 

とくに父が、すでにベッドの中で寝返りも打てないほど弱ってきたころ、久子さんは顔を殴られた話を、昨日のことのように話していた。看護師さんやヘルパーさんが入れ替わり部屋に入り、父の体を拭いたり、口の中を歯ブラシできれいにしたりしてくれる、そのような環境に大きなストレスを感じていたに違いない。

 

もしかすると、最近あまり父の話をしない原因は、昔の記憶のせいかもしれない。

 

50年前、当時の久子さんの平日は、ほとんどの時間を編み物教室に使っていたので、ぼくと弟は朝と夕方の少しの時間しか、母と話す時間はなかった。

 

だから日常的に母親に会いたい気持ちが強かったところに、家出騒ぎが重なったので、まだ小学1年生の幼い弟は辛い思いをしていたと思う。

 

多くの家族をもつ長男の家に嫁いで、働きながら家事をこなす苦労を、十分理解する術をぼくは知らないので、夫婦の間に何があったかは、いつまでも聞くことはできなかった。

 

もちろん、父はその後、母に手を挙げることはなかった。

父の願い

そんな出来事や、自分の兄弟の世話をさせ苦労させたきたことで、父は久子さんに対して何か後ろめたさがあったのではないだろうか。

 

晩年父は、ぼくには言わなかったが、ぼくの妻には、久子のことをよろしく頼む、と何度もお願いしていたそうだ。

その心は?と父に聞いてみたい。

 

父が亡くなって7年目、いま久子さんはあまり父のことを話そうとしない。

 

我々には計り知れない思いがあるのだろう。

 

認知症への影響を考えると、あまり聞かない方がいいのかもしれない。

 

父上、どうか許してください、貴方への感謝の気持ちは、二人の子供がきちんと孫やひ孫へと繋いでいきますから。

 

でも久子さんの部屋には、一番大きな父の写真が、一番目立って置いてあり、久子さんは毎日なにかしら声をかけているようだ。

 

これからも、二人を暖かく見守りたい。

2022.12.13