父の介護で

 

久子さんの様子がいつもと違う。変だぞ?と気づいたのは8年近く前の事。

 

父のがんが肝臓に転移したので、いろんな治療を止めて、緩和ケアに変えていこうと家族で決めたころだった。

 

父は「もう少し頑張ってみようかなと思っている」と言っていたが、久子さんの意見もあり、父は穏やかな表情で理解してくれた。

 

抗がん剤のつらい副作用で苦しむ父を見ることがつらく、どちらかというと家族の要望を父が快く受け入れてくれた形だった。

 

それからは、父と久子さんが暮らすマンションには、毎日のように訪問看護師あるいは訪問介護のヘルパーさんが入れ替わり来てくれて、父のお世話をしてくれていた。

 

そんなある日のこと、ぼくがマンションに入るなり、突然久子さんが強い口調で言った。

 

『いま来ていたヘルパーさんだけどね、外に干していた洗濯物を勝手に部屋の中に入れたの、私がきちんと干していた洗濯物をなんで勝手に中に入れるの!ひどいわ!』

 

『雨降って来たから、ヘルパーさんが入れてくれたんでしょ』

 

『そうかもしれないけど、やっていいことと悪いことあるわよ!』

変なこと言っているなぁと思いながら、でも何度聞いても、久子さんが言っていることは、まったくと言っていいほど道理に合わない内容だった。

 

久子さんは人をいじめるような人ではない、何かおかしい。

 

『少し疲れているみたいだけど、あまりよく眠れてないの?』

 

『ぼくがいる間、奥で少し休んでいてよ』

 

久子さんは、ぶつぶつ言いながら奥の部屋へ行った。

 

たぶんストレスと、家族ではない多くの人たちが自分の家に出入りしていることが、久子さんにとってはかなりのストレスになっていたようだ。

 

しかも、知らない女性が自分の夫の体をケアしている、そして父はおしゃべりしながら喜んでいる。

 

変わっていく久子さん。

 

いま冷静に思い出すと、久子さんのストレスは、そのときぼくが久子さんを見て感じていたものよりは、はるかに大きいものだったに違いない。その気持ちを十分感じてあげられず、ぼくはヘルパーさんを擁護している、ヘルパーさんの味方での表現をしていたと思う。

 

この業界の苦悩をよく知っているぼくの正義感が、当時、久子さんを容赦なく攻撃していたのだろう。

 

いま思い出すと胸が痛む。

 

それから少しずつ久子さんは、久子さんらしくない行動を見せ始めた。

 

何度も郵便局に行ってお金をおろすようになった。

 

午前と午後2回の日もあった。

 

スーパーに行くたびに、必ず同じ風邪薬の大箱を買うようになり、その風邪薬を飲むと、歯がすっきりすると言っていた。

そして、ヘルパーさんが来ることを嫌がった。

 

ストレスによる一時的な症状であってほしいとは思ったが、残念ではあるが….父のことより母の方が心配になっていた。

 

これまで見た多くの高齢者の様子が、頭の中でオムニバス映画のようにいくつかまとまって見えた、と同時に背筋に寒いものを感じた。もし久子さんが認知症になって症状が進むと、どのタイプになるだろうか?

その後、残念ながら母である久子さんは、ほぼ予想通りの進行を辿った。

 

あれから8年近くが立ち、ようやく、久子さんを一人のひととして接せることができるようになった。

 

これまで「高齢者の尊厳を守る」という意味を知っていても、わかってはいなかった。そのことに最近になってようやく気がついた。

 

どんな状態であったとしても『自分らしく生きる』ことを奪う権利は誰にもないのだ。

2022.10.18