また、高齢ドライバーによる死亡事故

NHKニュースによると、8月29日静岡県浜松市内のショッピングセンターの駐車場で、高齢ドライバーが運転する軽自動車が歩いていた70代夫婦をはねて、妻が死亡するという事故が発生した。

車は夫婦をはねた後、さらに店舗に突っ込んで止まったとのこと。

たとえ大きなショッピングセンターの中の広い駐車場といえでも徐行運転する場所、どうして店舗に突っ込むまで車を止められなかったのか?

 

駐車場の大きさや店舗との距離感について、書かれていなかったが、運転していて不幸にも人をはねた場合、ドライバーは瞬間的にブレーキを踏みこむだろうから、店舗に突っ込むことは考えにくい。

 

記事にはドライバーはその場で逮捕され、事故の詳しい原因を調査中と書かれていたが、現状から見て、高齢ドライバーは認知機能が衰えていて、ハンドル操作の誤りと、アクセルとブレーキを踏み間違えている可能性が高いと思われる。

 

駐車場を歩いていたご夫婦も、まったく突然の、そして予想できないような車の動きの事故に巻き込まれたのだろう。

 

交通量の多いところや、交差点などでは人は右左注意しながら歩いているだろうが、高齢ドライバーによる死亡事故は、なぜこんな所で事故が起きるの?というケースが多く、防ぎようがない。

 

今後、このような事故は減らないと断言できる

 

なぜなら、人間の認知機能の衰えは、本人にとっては突然やってくるもので、何か事故を起こさない限り、高齢ドライバーが免許を返納する決断ができない人が多いからだ。

 

さらに団塊世代が75歳を超えてくることから、このままでは同様の死亡事故、あるいはさらに凄惨な死亡事故がどれだけ増え続けるのか、心配でならない。

 

各自治体は、高齢者が自動車運転免許を返納しても生活に困らないようにと、地域を巡回するバスなどインフラ整備を進めている。

しかし、問題は75歳を過ぎてもまだ自分は大丈夫と過信している人たちだ。

私は都心に住んでいることもあり、60歳で車を手放したが、特に不自由なことはない。

 

車社会と言われる地方都市に住む人たちは、そんなわけにはいかない、という人が多いが、山間部や過疎化が進んだ地域のように公共交通機関が少ない地域は別として、地方都市でも車なしでも十分生活できるのではないだろうか。

 

私は年に何回か、生まれ故郷の石川県の小松市に行くが、街の中を歩いている人や自転車に乗っている人をほとんど見かけない。

 

東京での生活における買い物は、歩きと自転車と電車での移動がほとんどなので、街の中が人でざわざわしているが、小松市の街の中心地は、車は通るが街全体がシーンとしている。

 

しかし、スーパーやショッピングセンターに入ると多くの人がいて、とてもざわついている。

しかもそれらの施設は自転車でも十分行ける距離であっても、なぜか全員車で買い物に来ている。

駐車場には70歳以上の運転者がつける紅葉マークがついた車が多い。

 

75歳をすぎても車を運転している高齢者にハッキリと言いたい

 

アクセルとブレーキを踏み間違え、アクセルを強く踏み込み、さらに踏み込み続けるという、考えられないような事故が、高齢ドライバーの認知機能の低下により発生してしまっていることを、どうして自身の大きなリスクと考えられないのだろうか?

私はその時点ですでに認知機能が衰えていると感じるのだが、間違っているだろうか。

 

ある日突然、自分の妻や夫、そしてかわいい孫が、高齢ドライバーの運転する車の事故で命を奪われたら、と想像することができれば、自主的に免許を返納できると思うのだが。

 

コラムで何度もこの問題を書いてきたが何度でも主張したい、まだインフラが整っていない地域に住む高齢者など、生活する上でどうしても必要な人以外は、75歳を超えたとき免許を自主的に返納すべきだ。

 

日本は75歳を過ぎて元気な高齢者は多く、他の国から比べて平和でとても恵まれた国だ。

 

でもいくら自分は健康で、75歳過ぎても元気だと言っても、車の運転は大丈夫と、どうして言えるのだろうか。

2022.09.16

カテゴリー:認知症