いつ死んでもいいわ

ピンポーン

『は~い。あらあら〜、珍しい人がきたこと!あのね、私やっと歩けるようにまでになったのよ!もういつ死んでもいいわ』

『えっ?!どうしたの?ころんだの?』

いったい何があったのだろう。それは誰にもわからない。久子さんには、久子さんが体験している世界があって、決して作り話をしているとか、人をだまそうとしているのではなく、確かに彼女が何かを体験している事実がある。

久子さんの部屋を訪問すると、ドアが開いたとたん、5回に1回は今日のような久子さんがいる。最初のころは、本当に心配で、近くにいたヘルパーさんに聞いてみたが、特に変わった様子はなかった。

 

久子さんに「どこが痛い?どこか苦しいところ無い?夜は眠れた?」と、いろんな質問をしてみるが、暗い表情で

『やっと歩いとるわ、もういつ死んでもいいわ』

と繰り返すばかり。よくわからないが、とりあえず久子さんが好きな甘いお菓子を机にだして広げた。

 

「好きなもの」が「特別」に。

『あらまぁ〜美味しそう!!ここのお菓子は特別よ』

久子さんには、「好きなもの」全てに「特別」という形容詞がついてまわる。いま久子さんが食べているドラ焼きは、近所のスーパーで買ったもので、特別でもなんでもない。ただのドラ焼き。

 

そんな久子さんは、むかし小売店の販売員をしていたのだが、高価な商品をよく売ることで有名だった。おそらく、この「特別」という言葉を多用していたに違いない。久子さんの強い押しに負けて、つい買ってしまい後で後悔したお客さんもいただろう。本当にごめんなさい!

お菓子をパクパク食べだすと、いつもの久子さんに戻っていく。

 

『足は痛くない?』

『全然痛くない』

『頭は痛くない?』

『全然痛くない』

『じゃあどこも悪いところ無いよね?元気ということでいい?』

『そうよ、どこも悪い所なんか無いわよ!耳なんかよく聞こえるのよ、廊下歩いている人の話までよく聞こえるし』

『さっき、やっと歩いとるわ、って言ってたけど?大丈夫なの?』

『そんなこと言うた覚えないわ、こんなに元気なのに』

 

ドアが開いて会った瞬間の表情と、10分もたっていないお菓子を食べている久子さんの表情は別人だ。とにかく甘いお菓子は、久子さんを異次元ワールドから日常の世界に戻してくれる、ありがたい存在だ。

 

久子さんが言う通りで、ぼくにとっても甘いものは「特別」なものになっている。甘いお菓子をペロリと食べると、すぐに口撃が始まる。

『ところであんたいくつになった?』

これは、もれなく毎回ついてくる。いつもの久子さんだ。

 

おそらくだが、朝ご飯食べた後ベッドでうとうとしていて、夢をみていたのではないだろうか、そこにぼくが現れたから、夢の世界と現在との間の中でのぼくとの会話だろう。表情からすると、いい夢ではないだろう・・。いつかいい夢を見たときの久子さんに会ってみたいものだ。

 

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ドアが開いてから30分もしたころには『こんなおばばだけど、もう少しがんばって生きようかな』と表情が明るい。人生100年時代、「ぼくの久子さん」シリーズはどこまで続くのだろうか?

 

これぞ『認知症介護のお手本だ!!』と言ってもらえるような話題を提供したいが、久子さんの押しの強さと、おしゃべりの回転の速さに、息子の対抗策はとても貧弱。今のところドラ焼きに頼るしかない。

 

ドラ焼きといえば◯◯えもんだ。ここらで「認知症なんでもコントロ〜ラ〜」と言ってポケットから出してくれないだろうか。

2022.06.28

カテゴリー:ぼくの久子さん